2018.08.27 22:00
日本人のこころ 9
東京~柴田翔『されどわれらが日々—』
ジャーナリスト 高嶋 久
安保闘争
戦後日本の思想的なターニングポイントになったのが1960年の安保闘争です。日米安全保障条約は、戦後日本が国際社会に復帰したサンフランシスコ平和条約と同じ1951年に締結された日本とアメリカの軍事条約です。主な内容は、武装解除されている日本は自衛権を行使できないため、日本側が米軍の駐留を希望したもので、これが米軍が日本に駐留する法的根拠となり、以来、在日米軍は「占領軍」から「駐留軍」に変わりました。
米ソ冷戦時代の当時、安保条約は日本がアメリカの対共産圏包囲網の一員として組み込まれることを意味していました。しかし、日本の防衛に関しては米軍によって一方的に保護されながら、日本にはアメリカを保護する義務がない片務的なもので、より対等な防衛条約にすべきだとの声が保守層から高まり、1960年の改定となったのです。
これに反対する安保闘争は、旧社会党や共産党をはじめ野党を中心に高まり、大学では共産主義を信奉する学生たちによる紛争が全国に広がりました。安保条約の改定は国会で強行採決されましたが、岸内閣は混乱の責任を取り内閣総辞職します。
私が大学に入ったのは1965年で、64年には日韓基本条約が締結され、それに対する反対運動も盛り上がっていました。68年には東大紛争で全共闘が安田講堂を占拠する事件があり、69年の東大入試が中止に追い込まれます。
そんな時代の若者の群像を描いたのが柴田翔の『されどわれらが日々—』(文藝春秋)で第51回芥川賞を受賞し、186万部のベストセラーになりました。現在は文春文庫になっています。
柴田は東京生まれで、東大大学院独文科を経て同大教授になったドイツ文学者。ドイツ文学では『ゲーテ「ファウスト」を読む』や『内面世界に映る歴史』、ゲーテの『ファウスト』『親和力』の翻訳などがあります。
学生運動の高まり
『されどわれらが…』の背景にあったのは六全協、1955年7月に行われた日本共産党第6回全国協議会で、共産党が暴力革命の否定に転じたことです。それまでの共産党は、社会主義革命のためには暴力も肯定し、山村工作隊を組織したりしていました。本で次のように書かれています。
「今から考えてみれば、当時は党の指導方針の転換期に当っていました。昭和27年のメーデー事件、同年10月の資本主義国家としての日本の将来を見通したスターリン論文、翌年の徳田書記長の死などをきっかけとし、朝鮮戦線の膠着、スターリンの死の少し前からのソ同盟の平和共存への前進、社会主義圏の優位などを背景として、昭和25年来の党の軍事方針は再検討され、それが昭和30年夏の軍事組織の解体、六全協によるその確認という結果になりました」
それまで共産党の方針に従って一生懸命活動してきた学生たちにとって、六全協の決定は思いがけない事態で、信じていたものが、がらがらと崩れ落ちたのです。この決定に反対して生まれたのが全共闘で、ゲバ棒や投石など暴力を使った運動を続けます。
小説では、そんな学生の一人、佐野が地下組織に身を投じる姿が描かれています。結局、生きる道を見失った佐野は自殺してしまうのですが、やや冷めた目で学生運動を見ていた彼の友人の言葉が印象的です。
「あの党は、政治の党派のくせに、人間全部を要求するんだ。だから、あの中では、人は、互にひどく結び合っているように見えて、その実ひどく孤独なんだよ。佐野はそれにだまされていた……っていうより、だまされたがっていたんだ」
学生運動が高まった背景には、高度経済成長の時代、多くの若者が地方から都会に集まり、家族や共同体から切り離された孤独から、つながりを求めていろいろな組織に帰属するようになったという社会現象があります。いわゆる新興宗教もこの時代に急成長しています。
学生運動の場合、共産主義思想が、そんな若者の行動に正当性を与えていました。共産主義はキリスト教に反対する立場から生まれた、反宗教としての宗教性があるので、政治に留まらず、人間の心まで支配する力があるのです。結局、自分は自分で育てるしかないという当然のことを、佐野も組織も理解していなかったのでしょう。
共産主義思想の終わり
小説の主人公は学生運動とは距離を置いているノンポリで、幼馴染の女性と何となく結婚するようになっていたのですが、彼女が一時魅かれていた学生が前述の佐野で、彼の自殺から自らの生き方を見直し、一人で地方の学校の教師になる道を選び、主人公から離れていきます。
全共闘はその後、浅間山荘事件や大菩薩峠事件などで自滅していき、その過程で凄惨な内ゲバのあったことが明らかになり、共産主義は急速に魅力を失っていきます。私も大学の同じクラスの学生2人がセクトで対立するようになり、内ゲバで負傷したので、緊急に呼び出されて輸血したことがあります。
大学1年当時、寮にいた私の部屋には全共闘系の先輩がいて、共産党系の民青に対する悪口をよく聞かされていました。でも、思想からいえば同類です。たまたま風呂屋の前の路上の古本市で河合栄治郎の『マルキシズムとは何か』を買って読み、共産主義の人間理解の浅薄さを理解したのが一つの理由で、私は学生運動に引かれることはありませんでした。