2023.10.27 22:00
【テキスト版】
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第160回 マルクスの生い立ちと思想形成の背景を教えてください①
ナビゲーター:阿部美樹
皆さん、こんにちは!
今回は「マルクスの生い立ちと思想形成の背景を教えてください」という質問に対して2回に分けてお答えします。
「私は共産主義者です」と明言する人は決して多くはありません。
しかし日本だけでなく、世界中に共産主義の思想に影響を受けている人が多くいます。
共産主義者を自称している人、共産主義者であっても隠している人、知らぬ間に共産主義に影響を受けている人は非常に多くなっています。
共産主義の考え方に影響されていることを、「時代の移り変わり」「新しい文化」として受け入れる人も多く、共産主義的な思考は世論に浸透しつつあります。
例えば、LGBT問題においても、信念を持った一部の保守層の人たちは警鐘を鳴らしていますが、大衆は共産主義に侵食され、危惧するどころか、自然に受け入れようとしています。
ですから、共産主義は「共産党」だけの話ではなく、「保守」といわれる政党にも侵食し、学校関係者、学者や経営者、マスコミ関係者にも大きな影響を与えています。
そこで、この共産主義の思想形成に対して中心的な役割を果たした人物であるカール・マルクスの生い立ちをたどりながら、共産主義思想が確立するまでの背景を確認し、その本質が何かを考察したいと思います。
マルクスは、1818年5月5日、ユダヤ教のラビ(宗教指導者)の家庭に生まれました。
当時のドイツは連邦国家であり、その中のプロシアのトリール市で誕生しました。
マルクス家はユダヤ人ですが、当時のドイツはユダヤ人が社会に進出することを恐れ、ユダヤ教徒を公職から排除していました。
マルクスの父は弁護士でしたが、ユダヤ教徒では弁護士ができないために、ユダヤ教徒の誇りを捨てて、キリスト教に改宗しました。
妻や7人の子供たちもキリスト教徒にしてしまいました。
しかしプロシア社会からはユダヤ人として差別され、ユダヤ社会からは裏切り者として蔑視される四面楚歌(そか)の状態でした。
当時、ユダヤ人の子供たちはドイツ人からいじめられていたので、小学校に通わない場合も多くありましたが、マルクスも通った形跡がありません。
幼少期の彼の心理は、孤独感や疎外感、劣等感、屈辱感、さらには敗北感に満ちていました。
青年期になると、マルクスの中で反抗心や復讐(ふくしゅう)心、憎悪心が燃え上がっていきました。
ユダヤ人を迫害するプロシア政府に対して、そして宗教故に差別や迫害が生じていたことから、キリスト教に対してもユダヤ教に対しても、憎しみを抱くようになりました。
マルクスの言葉を紹介します。
「神の世界は皆なくなっても、復讐だけ残っている。…高い所に君臨しているあの者に復讐したい」(絶望者の祈り 1837年)
「すべての神々を私は憎む」(学位論文 1841年)
このように、復讐心、憎悪心に満ちていましたが、その一方で神を求める良心の叫びもありました。
「キリストとの合一は、内心の高揚、苦しみのなかのなぐさめ、安らかな確信を与え、また名誉心からでもなく、ただキリストのためにのみ、人間愛に対して、あらゆる高貴なもの、あらゆる偉大なものに対して、開かれる心をあたえてくれる」(17歳の時の論文)
このような二つの心が葛藤していた青年期、ドイツでは資本主義の興隆と共に、資本家の労働者に対する搾取と酷使がひどく、失業、飢餓、疾病、社会的犯罪などの惨状が繰り広げられていました。
このような環境も大きな影響を与えたと言えます。
今回はマルクスの家庭環境から青年期までの歩みを紹介しました。