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脱会説得の宗教的背景 8
「統一原理」から見た聖書歴史の理解と解釈

教理研究院院長
太田 朝久

 YouTubeチャンネル「我々の視点」で公開中のシリーズ、「脱会説得の宗教的背景/世界平和を構築する『統一原理』~比較宗教の観点から~」のテキスト版を毎週火曜日配信(予定)でお届けします。
 講師は、世界平和統一家庭連合教理研究院院長の太田朝久(ともひさ)氏です。動画版も併せてご活用ください。

復帰の観点から聖書全体を解釈した「統一原理」
 キリスト教では、十字架の出来事を“歴史の中心”に据え、十字架からさかのぼって旧約聖書を解釈します。
 また、十字架以降のキリスト教2000年の歴史も、十字架の救いから“終末”に向かって世は乱れ、「最後の審判」を迎えるという、いわば“退化論”とも言い得る歴史の捉え方になっています。

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 それに対して「統一原理」は、聖書(旧約・新約)を解釈するときに一貫して「復帰」の尺度をもって解釈します。
 人間始祖の堕落で成就できなかった“神の創造理想”である理想世界を実現するために、歴史は「復帰の公式」に従って導かれているというのです。

 復帰の観点から見ると「歴史の同時性」が見えてきます。
 現行の旧約聖書の記述を整理すると、歴史の同時性のうちの「象徴的歴史」(アダム家庭~アブラハム家庭)が示されます。

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 この象徴的な歴史が原型(モデル路程)となって、人類歴史の全体が「歴史の同時性」として表れるのです。

 『原理講論』は、旧約聖書のアダムからヤコブまでを「象徴的同時性の時代」と呼んでいます。「象徴」すなわちアダムからヤコブまでの歴史(旧約聖書の記述)は、シンボリックなかたち(象徴的な様相)で現れている歴史です。

 この「象徴的同時性の時代」、創世記の歴史が、その後に続くイスラエル史(アブラハムからイエス様まで)の2000年、さらにキリスト教史(イエス様から現代まで)の2000年の“原型”となり、同じ様相で繰り返されているのです。

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 では、神は旧約聖書の年数記述を、なぜ象徴(モデル)的なものとして表示しなければならなかったのでしょうか。

 文鮮明(ムン・ソンミョン)師は、2001年の全米50州講演ツアーで、アメリカの牧師に対し、「人類歴史は6000年ではない。もっと長い歴史だ」と語っておられます。
 聖書の歴史は、実際の歴史とは違う象徴的な歴史です。それは、神の救いの摂理に人間の責任分担が関わっているため、そのように表示しなければならなかったのです。

 堕落は人間の責任分担の不履行によって生じたため、復帰摂理(救いの摂理)は、神の責任分担だけでなく、人間の責任分担が果たされてこそ、成就するのです。
 神は「復帰の公式」を人間に教えるため、モデルとなる象徴的歴史を聖書に記述しておいたというのです。

 実際の歴史で、人間は“信仰”を立てることができませんでした。
 人間の心霊基準が極端に低い時代(原始時代)があり、“暴虐”が地に満ちた時代(参考聖句、創世記65~13のノア時代)があったためです。

 その期間、人間は神に相対する心霊基準を持たず、神は摂理を思うように進展させることができませんでした。
 “不信仰の時代”が気の遠くなるほど長期間にわたったため、実際の人類歴史(史実性)をそのまま聖書に記録したなら、「復帰の公式」は表示されません。歴史や聖書を学んでも、公式は分からなくなります。

 人間の生涯は約100年です。限られた100年で歴史を調べても“地が暴虐”に満ちあふれた歴史では、何の教訓も得られず、むしろ神が分からなくなります。
 義人ノアにたどり着く前に、暴虐の歴史だけを読んで人生を終えるのがおちです。

 ですから、神は「復帰の公式」を人間に教える手段として、象徴(モデル)的に記述した聖書を、何度も編さんし直す過程を経ながら、準備してこられたというのです。
 「統一原理」は、そのように主張することができるのです。

※動画版「脱会説得の宗教的背景 第3回『リベラル』と『福音派』との和合(旧約聖書学)」はこちらから