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文鮮明師自叙伝に学ぶ~心の書写 11

自然万物を愛する

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第3弾、『文鮮明師自叙伝に学ぶ~心の書写』を毎週木曜日配信(予定)でお届けしています。なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『心の書写~文鮮明師自叙伝に学ぶ~』より)

【第三章】神様を愛する

自然万物を愛する

 次に、神様を愛するとは、「神様がつくられたすべてのものを愛する」ことなのです。

 文鮮明先生によると、すべての自然万物は神様が人間のために造られた創造物であり、神様の愛が込められています。また、自然万物は神様の象徴的姿でもあり、分身ともいえるのです。

 「神が創造された万物は神ご自身を表す象徴的な存在であり、人は神に似た実体的な存在です。万物を愛することのできる人だけが神を愛することができます」(自叙伝『平和を愛する世界人として』、52ページ)

 「すべてのもの」を愛するのですから、どんな動物や昆虫、生物も愛することになります。

 しかし、私たちは必ずしもすべての生物を愛してはいません。最も愛している動物がペットです。かわいいし、よくなつくからです。その筆頭が犬です。一軒の家で最高に犬を飼っているのが207匹だという新聞記事を見たことがあります。台所にも床の間にも犬がいて、ひょっとすると、主人は家の外の人間小屋に住んでるのかもしれません。最近では、犬の気持ちはともあれ、犬に服を着せている人も多いです。犬のお見合いもあれば、犬の霊園もあります。ここまで来ると、江戸時代に生類哀れみの令なる悪法を出して批判された犬将軍、徳川綱吉も、あの世で仰天しているのではないでしょうか。一年に一度くらいしか、散歩に誘わない夫婦でも、犬は毎日散歩させています。

 犬、猫、ハムスター、うさぎ、小鳥などは愛されています。ところが、嫌われている生物がいます。嫌われるどころか、発見されれば殺されてしまう生物もいます。ゴキブリ、蚊、ハエなどです。確かに、色合いといい、姿といい、不気味であり、到底ペットにする気にはなれません。吐き気さえ催します。しかし、これらもまた神様の創造物なのです。
 文鮮明先生が無実の罪で牢獄生活をしたとき、文先生を最も慰めたのは犬や猫ではありませんでした。なんと、シラミとノミだったといいます。しかも、「貴重な話し相手」(自叙伝、102ページ)になったというのです。

 そればかりではありません。神様のメッセンジャーでもあったのです。

 「南京虫やノミを見る瞬間、ふと悟る啓示がありますが、それを逃してはなりません。神がいつ何を通して語られるか予測できません。南京虫やノミであっても貴く思って調べてみることができなければなりません」(同、102ページ)

 さらに、「世の中のすべてのものから神様のみ手を感じようと、触覚を鋭敏にしました」(同、327ページ)と語られています。「触覚」は感じ取る感性ですが、この場合は、「神様のみ手」を感じ取ることを意味しています。自然万物に触れて、神様の愛と働きを感じ取るのが、神様を愛することなのです。

 親のプレゼントを子供が大切に扱ったら、それは親を愛したことになります。親は喜ぶでしょう。もし、子供が親のプレゼントをないがしろにしたら、どうでしょうか。寂しく思います。何気なく机の上に置いてある一本の鉛筆に親の愛を感じ取る子供は、親を愛しているといえます。同じように、「触覚」自然万物に神様の愛を感じ取る心が大切なのです。「触覚」を鋭敏にすると、風に触れると神様の息に触れたように感じられます。雲を見ると、神様が自分を励ましているように感じ取れます。木の葉の音が、神様の声に聞こえてくるのです。

 「自然は神様が下さったものです。神様は自然を通して私たちに語りかけます」(同、185ページ)

 「自然も、人も愛せない人は、神を愛することはできません」(同、52ページ)

 家屋は私たちの最も身近な自然万物といえます。私たちの生活を、具体的に支えてくれています。蛍光灯、水道、電器製品、家具、寝具、調度品、机、椅子、それらは私たちのために存在しています。もし、お金で買った自分の所有物だと思ったら、大きな間違いです。すべては、神様の創造物に人間が手を加えて製作したものです。テレビ、洗濯機、冷蔵庫、どれ一つ生活に欠かせないものですが、そもそも電気が存在しなければ、あり得ないものばかりです。電気は神様が創造されました。鉄、銅、アルミ、木などの素材も、すべて神様がお造りになったのです。それゆえ、神様の愛がこもっているのです。

 家で生活できるのは、床があって水平を保ち、屋根や天井があって風や雨を防いでくれ、それらを支えている壁や柱が直立不動で立ち続けてくれているおかげなのです。それらの家屋のおかげで私たちは生活しているのです。それゆえ、家屋や家の調度品、電器製品などを愛することが、神様を愛することになるのです。

 神様が私たちの生活を支えるために床に姿を変えたと考えてみてください。すると、床を拭くのは、神様の体を拭いてさしあげることになります。

 ある婦人は、「床ちゃん、ありがとう」と真心を込めて掃除をして運勢をつかんだといいます。「トイレには それはそれはキレイな女神様がいるんやで だから毎日キレイにしたら 女神様みたいにべっぴんさんになれるんやで」という「トイレの神様」の歌(2010年紅白歌合戦でも披露)も、一理あるのです。容貌はともあれ、神様を思って掃除する思いが、心をべっぴんさんにすることは間違いありません。

 神様を愛すること。それは人類を愛することと、自然万物を愛することなのです。

 では、なぜ、神様を愛すると、真の幸福が得られるのでしょうか? 理由は簡単です。神様を愛すれば、神様から愛されるからです。

 子供が父母を愛すれば、父母はその子を愛します。親の愛の力が子供に幸福を与えます。最も良い例は赤ちゃんです。赤ちゃんは一方的に母親から愛を受けているように見えますが、実は、赤ちゃんがまずお母さんを愛しているのです。

 赤ちゃんは屈託のない笑顔でお母さんを愛しているのです。そのかわいらしさに引かれて、お母さんは赤ちゃんを愛しているのです。お乳を与え、夜泣きをすればすぐ起きてあやし、風邪をひけば、すぐに病院に連れて行きます。お父さんはつらい仕事でも、愛する子供のために働きます。父母の愛の力が子供を守っているのです。

 文鮮明先生は「この世で最も力強いのが愛」(自叙伝、50 ページ)と言われています。人間の父母の愛でさえ大きな力なのですから、天の父母である神様の愛は無限に大きな力です。

 人間は、父母なる神様を愛することで、愛の無限力を受けて幸福になれるのです。人間は父母なる神様の愛と自分の努力によって幸福になれるように創造されたのです。それゆえ自分のために神様にすがるのではなく、神様を愛することによって本当の幸福をつかむことができるのです。この神様の力を天運と言うのです。神様を愛すれば天運を得るのです。(続く)

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 次回は、第四章の「幸福を引き寄せる愛天愛人愛国生活」をお届けします。


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