続・夫婦愛を育む 11
宝物二つ

ナビゲーター:橘 幸世

 Blessed Lifeの人気エッセイスト、橘幸世さんによるエッセー「続・夫婦愛を育む」をお届けします

 先日、Yさんが最近味わった心情を話してくれました。

 Yさんの娘さん夫婦に待望の第一子が誕生しました。結婚から5年がたってのことでした。
 今のご時世、「子供はまだか?」といった類いの言葉は発せず(子供たちもいい大人です)、遠方で暮らす娘さんからの吉報をひたすら待ったYさん。その間、夫婦いずれにも妊娠に問題はないとの診断を受けました。安堵(あんど)したものの、吉報はなかなか届きません。こればかりは天の御心(みこころ)、何年も待った人たちもいる、と自分に言ってきたそうです。

 晴れて妊娠の知らせを聞いた時は、胸躍らせましたが、まだ実感は今一つ湧きません(言葉にこそしなかったものの、本当に自分たちにもその喜びが訪れるのだろうか、と内心思うこともあったそうです)。
 時がたつのを指折り数えて、いよいよ出産間近の一報に、ろうそくをともし、祈祷を始めました。

 口から出た言葉は「待って、…待って、…待って…」。それに続く(この日を迎えました)という言葉が出る前に、それまでの黙して待ち続けた日々が思い起こされて、熱い涙がこぼれたそうです。

 その涙は単なるうれし涙ではありませんでした。この瞬間を迎える感謝と感動を超えて、別の思いが降りてきました。
 自分はたった数年待つのも長く感じたのに、失われた子女、人類が帰るのを気の遠くなるような歳月待ち続けた神様。どれほどの切ない心情を、たったお一人でかかえてこられたのか(自分には共に待つ夫がいた)、真の父母が地上に誕生した時、どれほどの感動と喜びの涙を流されたのか、…神様のことが思われて胸が詰まり熱い涙がポロポロとこぼれました。

 娘が結婚してすぐに子供を授かっていれば、神様とのこんな心情的出会いはなかったかもしれない、とYさんはしみじみ言いました。
 待つことも、過ぎてみれば神様の恵みだったんですね、神様から宝物を一度に二つ頂きました、と。

 宝物を二つ。一つはもちろん、新しい命です。もう一つYさんが宝物と呼んだのは、神様の心情に触れたことです。
 家庭人としては孫の誕生に歓喜し、信仰者としては天の心情に触れたことに感動しました。

 私たちは導きを感じた時も夢で天に接した時も感動しますが、神様、あるいは真の父母様の心情に触れた時が、最もその存在を身近に感じ、癒やされ、力を頂くのではないでしょうか。
 何よりも忘れ難い、自分と神様だけの出会い――信仰者にとっての宝物、たくさん集められますように。