信仰と「哲学」6
「哲学」の始まり~祖母への涙に驚く自分

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 私は、農家の次男として生まれました。ふたりっ子です。兄は自慢の存在でした。それは今も変わりません。父母はいつも一緒に田畑に出て働いていました。小学校、中学校から帰ってくると、いつも迎えてくれるのは祖母でした。私は「おばあちゃん子」でした。

 子供の頃のわがままを聞いてくれたのも祖母。祖母から叱られた覚えがありません。
 ある日、祖母から聞いた母のことを、母に言ったら怒られました。「難しい関係なんだな」と思い、簡単に言ってはいけないことがあることを子供心に感じました。

 祖母はほとんど毎日、仏壇の前で「お経」を上げていましたが、それを見て、「死んだ後の自分のことを心配しているんだ」などと思ったことを覚えています。

 私は成長するに従って生意気になり、祖母をばかにするような言葉を使ったり、そんな態度を取ったりした時、父親から強く叱られたこと(この一度くらいしか覚えていませんが・・・・・・)がありました。今も鮮明に覚えている出来事です。

写真はイメージです

 私が大学生の頃、祖母は脳軟化症(脳梗塞)で寝込むようになり、会話もできない状態になっていました。母の介護も大変だったと思います。
 でもその頃の自分は、自分のことばかりを考え、母の立場に立って真剣に考えたことはなかったと思います。

 大学1年生の6月、祖母が亡くなりました。知らせを聞いた時には、「その時が来たのか」というほどの思いしかありませんでした。それほど、心は荒(すさ)んでいたのです。

 葬儀は実家で行われました。お葬式が終わった後だったと思います。時間はよく覚えていないのですが、実家の裏庭(イチゴ畑)で一人で泣きました。いつまでも泣きました。このような経験は自分にとって驚きでした。それまで、自分以外の人のために泣いたことがなかったからです。

 そしてそんな自分を見ているもう一人の自分がいました。泣いている自分を冷静に「見ている」自分が存在することに驚き、人間の心・意識の不思議さに衝撃を受けました。

 それは、共産主義思想とは無縁のものでした。しかしサルトルの「実存主義」に通じる何かを感じました。

 祖母のために泣いた時、「この世界で二度と会えなくなってしまった」、自分にとって「二度と会えない人が一人できてしまった」ことが悲しかったのです。

 自分のことしか考えられなかった自分の心が一つ一つ砕かれていく出来事でした。私は本当に自己中心の人間でした。(続く)