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日本を愛した文先生の足跡 7
大阪

(光言社『グラフ新天地』389号[2000年12月号]「日本を愛される文先生の足跡」より)
 

 9月1日に迎える文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁聖和11周年を記念して、「日本を愛した文先生の足跡」を毎週水曜日配信(予定)でお届けします

大阪は勝敗を決する十字架の峠

 196522日、午後7時になって、ようやく文鮮明先生ご一行が大阪教会に到着されました。当日、寺田町の教会には80人ほどの老若男女が集まり、午後1時ごろから聖歌を歌って、お迎えする準備をしていたのです。

 「お父様(文先生)、お帰りなさい」の言葉に迎えられ、車から降りられた文先生は2階に上がられ、しばらく祈祷された後、歓迎会に臨まれました。

 文先生は大阪について次のように語られました。

 「東京は東のエデンの園を表し、名古屋は名高い古い屋敷を表し、ここ大阪は大きな峠を思わせます。ゆえに大阪の地は勝敗を決する十字架の峠であり、この地の復帰が、日本あるいは世界の栄光の峠になることを願います」

 「大阪は皆が一つの家族という感じが強い所です。神を中心として心情がつながれていれば、国境も何も問題ではありません。先生は(ある意味では)日本人です。日本を真に愛する者が真の日本人であり、世界を、天宙を愛する者は、世界人であり、天地に公認される者となることができるのです」

 その後、文先生は「茨(いばら)なる道の復帰路程」と題して、3時間余りにわたってみ言を語られました。

▲聖歌指導をされる文先生(196522日)

伝道するのは自己の完成のため

 午後11時半、ようやく食卓に着かれた文先生は、松本道子地区長(当時)の手料理をおいしそうに召し上がられました。

 翌3日、文先生は出発前にもみ言を語られました。

 「なぜ伝道するのでしょうか。誰のために伝道するのでしょうか。天宙復帰には己が完成勝利しなければならず、伝道は(最終的には)己のためにするのです。我々の勝利のためには最低12人の(信仰の)子女を産まなければなりません。それが蕩減であり、神の宴に招かれる礼服です」

 文先生は「天地復帰之願」「勝越大阪之峠」「統一の勇士群世界を制圧す」と揮毫(きごう)されました。

 また大阪城内に聖地を決定され、高松へと向かわれました。

▲揮毫される文先生(196523日)

▲聖地決定(大阪城内、196523日)

▲聖地決定の後、大阪市立博物館の前を歩かれる文鮮明先生ご一行(196523日)

(参考/成約新聞1965315日特集号、『日本統一運動史』)