2023.08.22 22:00
信仰は火と燃えて 6
父よ、彼らを赦(ゆる)したまえ
「信仰は火と燃えて」を毎週火曜日配信(予定)でお届けします。
教会員に「松本ママ」と慕われ、烈火のような信仰を貫いた松本道子さん(1916~2003)。同シリーズは、草創期の名古屋や大阪での開拓伝道の証しをはじめ、命を懸けてみ旨の道を歩んだ松本ママの熱き生きざまがつづられた奮戦記です。
松本 道子・著
父よ、彼らを赦したまえ
伝道を始めて5日目、この日も一日中話を聞いてくれる人を探して、足を棒にして歩き続けました。4日間の睡眠不足もあって、夜の10時ごろにはもう疲れ果ててしまいましたが、12時までは活動することにしていたのでまだ休むわけにはいきません。もう一軒行ってみよう、そう思って気を取り直し、疲れた足を引きずりながら再び歩き始めたのです。
ふと顔を上げると、目の前に教会が見えました。夜の11時ごろでしたが、その教会は、いつ誰が来ても入れるように、表のドアが開かれていました。「こんばんは」と声をかけて入ってみると、電気はついているのですが、何の返事もありません。私は靴を脱ぎ、黒板とショルダーバッグを持って、静かに2階に上がってみました。
2階は広々とした礼拝堂で、誰かいたら、そこに泊めてもらって話をしたいと思っていたのですが、シーンと静まりかえっています。重い荷物を下ろし、礼拝堂の窓から外を見ると、町のネオンが薄ぼんやりとくたびれたように見えました。
ああ、もう12時ごろだなあ。そう思うともうどうにも眠たくて、立っていることができません。そこで「天のお父様、私は今晩この礼拝堂で泊めさせていただきます。明日の朝、この教会の牧師に会いましたら、どうかこの天のみ言(ことば)を語ることができますように、そして牧師がみ言を受け入れることができますように」と、切実な気持ちで泣きながら祈ると、礼拝堂の椅子の上に横になりました。そして、久し振りに屋根の下で、気持ちよく眠ることができました。
ところが、ぐっすりと一眠りしたころ、すすり泣きながら祈っている声で目が覚めたのです。もう夜明けかと思ったのですが、外はまだ暗く、午前2時ごろでした。その声は、韓国の言葉で「主よ来たりませ。あなたの約束の日は近づいてまいりました。どうか一日も早く来て、この世を救ってください」と泣きながら祈っているではありませんか。それは韓国人のおばあさんの声でした。
私は起き上がっておばあさんのそばに近寄り、声をかけてみました。
「おばあちゃん、今の祈りは聞かれますよ。神様は主をすぐ遣わしてくださいます。今、私は天から啓示を受けました。あなたが求めている主は、もうあなたのすぐ近くにいます」。
「本当ですか。あなたはどこから来たんですか」。おばあさんは、驚いて聞き返しました。「私は、もうすぐ主が来られることを知らせるために、東京からやって来たのです」
そう言いながら、私はピアノの後ろに置いてあった黒板を持ってきて、講義を始めました。
おばあさんは真剣に聞いていました。そして、私を、神様から遣わされた偉い伝道師として迎え入れてくれたのです。
その日から、私はそのおばあさんの家に泊めてもらうことにしました。家といっても、焼け跡にトタンで造った小さな小屋で、しかも畳を二枚敷いて小さな台所をつけただけのものでしたが、私にとっては、畳の上で寝られるというだけで、感謝の気持ちでいっぱいでした。
おばあさんは、金さんといって8年間も信仰をもっているクリスチャンで、たった一人で日雇い人夫をしながら、再臨の主を待ち望んでいたのです。まさに5日間の苦労の土台の上に、神様が会わせてくれた人でした。
その翌日伝道費がなくなったのでくず屋をやろうと思い、金ばあさんにくず屋を紹介してもらいました。リヤカーとはかりを借り、もんぺをはいて麦わら帽子をかぶり、元気な声で「おばあちゃん、行ってきます」と言って出掛けたのです。
すると金ばあさんが、「オーッ」と泣き出して私を呼び止め、「あなたをそのままくず屋に行かせたら、私は天罰を受けるよ」と言って貯金通帳を出し、それを全部献金するから、くず屋に行かないで伝道してくれと頼むのです。通帳の中を見ると、おばあさんが毎日働いて、100円、200円と貯めたもので、15,000円ほどたまっていました。
私は感謝の祈りを捧げて、そのうち13,000円を受け取ると、YMCAの青年会館に行きました。聖書研究会をするからということで、午後3時から5時まで、40日間この場所を貸してもらうことにしたのです。一日の借り賃が300円で、1カ月分を払い込みました。そして、早速西川先生に手紙を書いて、5日間の歩みを報告し、パンフレットを送ってほしいとお願いしたのでした。数日後、聖書研究会をやる場所を印刷したパンフレットが、速達で送られてきました。
残りのお金でマイクを買い、パンフレットを両方のポケットに入れて、それから本格的な伝道が始まったのです。毎朝8時から10時までと夕方5時から6時までは、駅で路傍伝道をしました。左手に真っ白なのぼりを持ち、右手にマイクを持って、道行く人に呼びかけるのです。昼間はYMCAでもらった名簿をもとに、キリスト教会を一軒一軒訪問して歩きました。
一軒一軒が遠いので、相当の距離を歩かねばならず、一日に3軒ぐらいしか回れませんが、それでも一生懸命歩いて訪ねていったのです。けれども、私の言葉を聴いてくれる人はおらず、どの教会でも、異端だと言って追い出され、時には、殴られたり、水をかけられることもありました。そのたびに胸を詰まらせながら、「私の語り方が悪かったから、彼らは理解できなかったのです。天の父よ、どうか彼らを許してください」と祈って、出てくるのでした。
朝、昼に水だけしか飲んでいないので、暑さと空腹にくじけそうになる時もありました。そんな時、道端で私の大好きなまくわ瓜のたたき売りをしていたことがあったのです。一山30円で10個ぐらい、これなら思いきり食べることができる。のどから手が出るほど食べたいと思いました。けれども、私は神様に一日一食しか食べないと約束していましたから、これはサタンの誘惑だ、と思ってぐっとがまんをし、「サタンよ去れ!」と言ってその前を通り過ぎたのです。そして、おなかをバンドで締めて、夕方の路傍伝道に行きました。おなかがすいて声が出ないので水をがばがば飲んで必死で訴えました。
一日の歩みを終え、重いショルダーバッグと黒板をさげて食堂の椅子に座るころは、ブラウスは汗でびっしょりになり、疲れて今にも倒れそうでした。一日に一度の御飯のなんとおいしかったことでしょう。とても甘くて溶けそうでした。かむ余裕がなくて、のみ込むように食べました。
毎日毎日泣きながら帰りました。電気が明るい所では黙って歩いているのですが、暗い所まで来ると、顔をしかめながら「ウーッ」と声を出して泣き、きょういじめられたこと、いろいろなことを思い出しては泣きました。そして、「天のお父様、彼らをお許しください。私が殴られたり、けられたり、サタン呼ばわりされるのはいいのです。どうか彼らに、このみ言が早く伝わりますように。あすこそは実を結ぶことができますように」と泣きながら祈るのでした。
金ばあさんの家に着くと、入り口の水道でほこりと涙で汚れた顔を洗い、汗まみれのブラウスを洗って、新しいブラウスに着替えて中に入っていきました。金ばあさんは、私より早く帰っていて、「お帰りなさい」と喜びにあふれた顔で迎えてくれるのです。
その時既に11時ごろですが、それから一日の出来事を話し、二人でお祈りをしました。「あすこそ次の教会でいい人に会えますように」。私が泣きながら祈ると、金ばあさんも泣きながら祈るのです。それからおばあさんに原理講義をして、寝るのはいつも夜中の一時過ぎでした。
金ばあさんは、毎日のようにすいかやパンを買ってきてくれました。一日中工事現場で働いて、日当を4、500円もらい、そのうち300円を貯金して100円で生活しているのに、その中の50円で、私のために必ず何かを買ってきてくれるのです。時には、伝道費にと100円とか50円をくれることもありました。
こうして金ばあさんと一緒に暮らすようになって10日ほどたったある日、まだ伝道が進んでいないのに、西川先生が巡回に来られたのです。まさか先生を今住んでいる小屋に案内するわけにはいかないので、駅に迎えにいったその足で、まっすぐ名古屋城に案内し、一緒に食事をしたりして一日を過ごしました。
ところが西川先生は、私がなかなか住んでいる所に連れていかないので不思議に思い、「松本さん、どこに泊まっているのですか」と聞くのです。「金ばあさんのところに泊まっていますが、そこは先生が入ったら頭がつかえてしまうような所なんです」と答えると、「私をそこへ連れていってください」と言われるので、仕方なく、申し訳なくて泣きたい気持ちで金ばあさんの家に案内しました。すると先生は、「ここは神の娘が住むすばらしい場所だ。天国ですよ」と言って喜ばれ、お祈りしてくださいました。
金ばあさんは、西川先生を見て、イエス様に会ったような心情で、きょうはごちそうだと言って、すいかを割ったり、いろいろなものを出して、真心から歓迎してくれました。その夜は、先生を囲んで、三人で一晩中神様の話をして過ごしました。
残された日数はあと25日しかありません。「必ずできる。がんばりなさい」という先生の励ましの言葉を胸に、泣き泣き先生と別れると、「ようし!」と決意をして再びクリスチャン伝道を始めました。
心があせって、朝は4時には目が覚めてしまいます。食べるよりも、眠るよりも、まず神様が予定した人を探すことが先でした。どんなに迫害されても、迫害する人のために祈りながら、祈って歩いて、虎(とら)のように目を光らせて、神様を求めている人を探して歩きました。
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次回は、「イエス様の悲しみを知る」をお届けします。