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真の父母様の孝情を学ぶ 10
多くの命を奪った青い閃光

 『ムーンワールド』で連載中のコーナー、「真の父母様の孝情を学ぶ」を隔週日曜日(予定)でお届けします。
 韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁(真のお母様)の自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』からの抜粋をイラストとともにつづるコーナーです。

 今回は、「多くの命を奪った青い閃光(せんこう)」(8183ページ)からの抜粋です。

 「戦争が始まったそうだ!」

 「ああ、人民軍が38度線を突破して下りてきたらしい」

 1950625日、私が数えで8歳の時、韓国動乱が起こりました。庭の片隅に真っ赤なホウセンカが咲き乱れ、町角の柳やプラタナスの木が一斉に葉を茂らせる、初夏のある朝でした。緑に包まれた夏の景色が色あせて見えるほど、朝から路上は、心配そうな表情をした人々であふれ返っていました。南に来て少し生活が安定してきたと思った矢先、北の人民軍が突然南に侵攻してきたのです。

 人々は恐怖に震え、慌てふためきました。
 政府は、建前としてはソウル死守を叫んでいたものの、実際は急いで大田(テヂョン)まで後退し、人民軍を食い止めるために漢江(ハンガン)の橋を爆破しようとしていました。

 2日後、まだ夜が明け切らないうちに母は起き出し、避難用の荷物を準備し始めました。ガサゴソとする音に私も目を覚ましましたが、そのまま目を閉じて、母と祖母の会話をじっと聞いていました。

 「私たちも避難すべきです。共産党がここまで下りてきたら、私たちもただでは済みません」

 「そうは言っても、女性を乱暴に扱ったりするだろうか?」

 「私たちが北から下りてきたことを知れば、その場で殺すかもしれません」

 母は、主にお会いするという一念で、いつも精誠を捧げる生活をしていましたが、この時は共産党が押し寄せてくるという知らせに、いつになく焦っている様子でした。

 627日の夜、ぱらぱらと雨が降る中、避難を急ぐ人々の列が、町のあちこちにできていました。私たちも荷物を抱えて家を出ると、夜雨を浴びながら、漢江に向かって脇目も振らず歩きました。漢江の橋が暗闇の中からうっすらと姿を現し始めた時、私はふと何か感じるものがあり、祖母の服の裾を引っ張りました。祖母が足を止めたのを見て、母がいぶかしげに尋ねました。

 「お母さん、どうされたのですか?」

 祖母は空を一度見上げた後、下を向いてしばらく私を見つめると、再び顔を上げ、今来た道のほうを見つめました。

 「順貞(スンヂョン)※ が来るかもしれない。もしかしたら連絡をよこすかもしれないから、戻らないと」

 母は静かに頷きました。私たち三人はとぼとぼと歩いて家に戻ると、布団にくるまってしばし休むことにしました。

※真のお母様の叔父(祖母の息子・洪順貞/ホン・スンヂョン)

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 次回は、「多くの命を奪った青い閃光②」をお届けします。


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