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真の父母様の孝情を学ぶ 8
38度線、あの世とこの世の境を行き来して②

 『ムーンワールド』で連載中のコーナー、「真の父母様の孝情を学ぶ」を隔週日曜日(予定)でお届けします。
 韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁(真のお母様)の自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』からの抜粋をイラストとともにつづるコーナーです。

 今回は、「38度線、あの世とこの世の境を行き来して」(7779ページ)からの抜粋です。

 「そろそろ夜も更けたから、出発しよう」

 1948年、秋のある夜更けに、祖母と母、そして私の3人は、包みを二つばかり抱え、家を出ました。安州(アンヂ)から38度線までは、直線距離でも200キロはあります。

 夜は空き家で眠りに就き、朝露を踏みながら、また出発しました。ぼろぼろの靴ででこぼこした道を行かなければならないので、少し歩くだけで足が痛みました。何より耐え難かったのが、空腹です。民家に入り、包みの中の物を渡して、代わりに麦飯を恵んでもらいながら食いつなぎました。

 ようやく38度線の近くまで来たと喜んだのも束(つか)の間、そこで厳重な警備を敷いていた北の人民軍に捕まってしまいました。空き家の納屋に放り込まれると、既にそこには捕まった人が何人もいて、恐怖に震えていました。ただ、人民軍は男性に対しては乱暴に振る舞いましたが、女性と子供に対してはひどい扱いをしませんでした。

 ある日、捕まっていた大人の一人が、歩哨(ほしょう)に立っていた人民軍に食べ物を持っていくようにと、私を使いに出しました。そのようなことを何度かしているうちに、彼らの心も和らいだようです。ある晩、故郷に帰れと言って、人民軍が私たち3人を解放してくれました。天の加護により、生死を分かつ岐路で生の道へと導かれたのです。
 その夜、夜陰に乗じ、私たちは案内者について、38度線を一気に越えました。

 私は喜びのあまり、母に言いました。

 「もう、金日成(キム・イルソン)を称賛する歌を歌わなくてもいいのでしょう? 南の歌を歌うわ」

 ところが、南側でも厳重な警備が敷かれていたのです。そのことを何も知らなかった私は、うきうきして何節か歌を歌いました。すると、前の茂みでガサガサと音がするのです。びっくりした私たちは、その場で石のように固まりました。また人民軍に捕まるのではないか、という恐怖が押し寄せてきました。

 ところが、茂みをかき分けて現れたのは、南の兵士たちでした。人の気配を感じ、銃を構えて警戒していた彼らでしたが、無邪気な子供の歌声を聞き、撃つのをやめて出てきたのです。彼らは安堵(あんど)のため息をつく私たちを温かく迎え、ねぎらってくれました。

 「こんなかわいい娘さんを連れて、さぞかし大変だったでしょう。いくらもありませんが、お役立てください」

 南の兵士たちはありがたいことに、ソウルまでの旅費をくれました。あの時、もし私が歌を歌っていなければ、北の人民軍と誤解され、その場で銃弾を浴びて命を落としていたでしょう。天はこのように、辛くも私たちを保護してくださったのです。

 こうして、千辛万苦の末に、無事、南の地を踏むことができました。しかしそれは一方で、 祖父とは二度と会うことのできない、決別の道ともなってしまいました。

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 次回は、「38度線、あの世とこの世の境を行き来して③」をお届けします。


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