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信仰と「哲学」121
神と私(5)
心の奥底から湧きいずる力

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。

 前回の、恐れないこと、をテーマにした文庫本の著者の体験談は、残される子供のことを思えば自分の命はどうでもいいから、とにかく妻の命を助けてほしいと祈ったことだけでなく、その後の「展開」も記されています。

 幸いにも夫人は回復に向かうこととなりました。一方著者は、「命をくれてやるという気持ちになったら、逆に自信が湧いてきた」というのです。
 その日以来、自分の命などいつ差し出してもいいという気持ちで生きることができるようになったといいます。

 このように記すことは「簡単」なようですが、本人がたどった心の足跡は前後左右に揺れ動く、深刻なものであったに違いありません。自分の命など差し出せるとの境地は一つの「悟り」の世界と言えるものだからです。

 この「悟り」は、言い換えれば、いつでも地位、名誉、財産など捨て切れるというものです。他人によって評価される自分の立場や名誉欲、いつまでも維持できない財産欲によって自分の「情熱」や「判断力」が機能不全になることを忌避しようというものです。

 自分が自分であり続けることによって本当の自分や初志を貫徹するのです。
 そのようにある(生きている)人の言葉や行動こそ、不思議にも多くの人の心に響き入り、感化し行動へと促すのです。

 ソクラテスの言葉が、弟子のプラトンをはじめ多くの人々を動かしてきました。
 彼の言動の力は、哲学をやめれば獄中から解放するとの言葉をはっきりと拒否し、生き続ける「誘惑」をはねのける覚悟が引き出したものであると言えます。
 もしソクラテスが、自分が生き永らえる意義についての理由付けを心の中で始めたら、その瞬間、その力は遮断されてしまったことでしょう。

▲ソクラテスの最期を描いた『ソクラテスの死』(ジャック=ルイ・ダヴィッド画、1787年/ウィキペディアより)

 ソクラテスは法廷で、アテナイ(アテネの古名)の人々に対して、親しみと愛情を持っているが、人々の言葉よりは神に従うことになると言い切ったのです。
 そして、魂について語りました。魂が優れたものになるよう配慮することよりも身体やお金のことに気をかけてはならないと戒め、毒杯を飲み干しました。

 「ソクラテスの弁明」の前に覚悟があったのです。時空を超えて人々を動かし得る弁明の前に覚悟があったのです。
 ソクラテスの心の奥深い所から湧きいずるものは神からのものであったに違いありません。