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私の心の中にいる神様 174
互いの正義がぶつかるとき

 良心との対話で、ワクワク感が止まらない!
 毎週土曜日に配信予定です。

互いの正義がぶつかるとき

(男性 40代)

 業務の関係で、電車での移動が多い日々です。
 電車の中では、以前はLINEを送ったり、ニュースを見たりとスマホに向かい合う時間でしたが、「自己牧会プログラム」に出合って以降は、「自覚を取り戻す」修練の時間になりました。

 「今ここ」で見るもの、聞くもの、感じるものに意識を置き続けていると、思考が停止し、心がすっきりとしてきます。
 窓の外の景色を見れば、季節の小さな移り変わりに喜びを感じますし、電車に乗っていること自体にありがたさを感じます。
 普段、いかに妄想に走って生活しているかがはっきりと分かるのです。

 子供が5日間にわたって40度以上発熱しました。アデノウイルス感染症によるもので、当然、学校を休むことになりました。
 夫婦共働きのわが家では大問題です。どちらかが仕事を休まなければならないのですが、私は「この会議に出ないと大変なんだ!」と訴え、妻は「時給制の私が休んだら、来月が大変になるからダメよ!」と主張し、互いの“正義”がぶつかります。

 口論が激しくなると、とにかく何かを責めたくなり、「ウイルスのせいだ」「どうして感染したんだ。おまえをウイルスに負けるような子に育てた覚えはない」など、いろいろな思いが湧いてきます。
 ところが、以前と違うのは、ここでふと立ち止まることができるのです。

 「真の愛を中心として、父母の立場で正しく見させてください」と祈っていくと、「妻も家計を支えるために必死なんだな」とか、「子供もたまには家でゆっくりしたいんだな」とか、普段気付かない家族の心に気付くようになります。

 結局、夫婦交替で休むことになりました。
 私が休んだ日には、久しぶりに子供と一緒の時間を過ごすことができ、全てが感謝だなと感じました。

 子供が病気から回復した後、家族でお菓子を囲む時間がありました。
 目を見て共に喜んでいると、この何気ない場面がとても輝いて見えました。
 囚(とら)われのない心が共鳴すれば、自然と喜びは拡大するんだなと感じています。

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 次回は、「許すも許さないも」をお届けします。


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