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愛の勝利者ヤコブ 34

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「愛の勝利者ヤコブ」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 どの聖書物語作者も解明し得なかったヤコブの生涯が、著者の豊かな聖書知識と想像力で、現代にも通じる人生の勝利パターンとしてリアルに再現されました。(一部、編集部が加筆・修正)

野村 健二・著

(光言社・刊『愛の勝利者ヤコブ-神の祝福と約束の成就-』より)

女のたたかい

 レアとの1週間の同衾(どうきん)ののち、ヤコブはやっと、7年の労苦を耐え抜かせた最愛のラケルと起居を共にできるようになった。それは、このうえない喜びとなるはずのものであった。しかし得たものは地獄であった。

 二人の妻を得、その面倒を見る責任を引き受けた以上、ラケルにばかりかかわり合っているわけにはいかない。レアは、ヤコブとラバンとの約束について直接には何も聞いてはいなかった。しかし女の直感で、すべてのいきさつが手に取るように分かっていた。それだけにヤコブは、レアの気持ちをなだめるために、ラケルに対する以上に心を遣わなければならなかった。

 レアは意地でもヤコブを引き離すまいとし、優しいヤコブはそれをむげに振り切ることのできない場合が多かった。幼いラケルはヤコブの微妙な心のひだにまで分け入って思いやることができず、子供のようにそれを恨みに思ったし、レアはレアで、ヤコブが形のうえでは自分を大切にしてくれても、心はもっぱらラケルにあるのを感じて嫉妬(しっと)の炎を燃やした。

 「主(神)はレアがきらわれるのを見て、その胎を開かれたが、ラケルは、みごもらなかった」(創世記2931)と聖書にはある。親の立場というものは悲しいもので、慕わしく思う子のほうを心のままに愛することはできない。同じように扱ってさえ、愛されていないと思っている子はひがむ。

 それゆえむしろ愛する者のほうを犠牲にして、愛しがたい者の救いを願わざるをえないのである。歴史を通じて神の立場はいつもこのようなものであった。その悲劇のクライマックスが、イエスの十字架上の刑死と復活の摂理となって現れてくるのである。

 いずれにせよ、神と離れた立場に置かれる長女の宿命(*9)を負ったレアを神はあわれまれて、恨みが尾を引かないようにと、最初はもっぱらレアにばかり子を授けられるのである。最初の男児を授けられた時、レアは「主がわたしの悩みを顧みられたから、今は夫もわたしを愛するだろう」(創世記2932)とつぶやき、ヘブライ語で「見よ、子ども!」という意味のルベンという名をつけた。

 第二の男児には、「主はわたしが嫌われるのをお聞きになって、わたしにこの子をも賜わった」(創世記2933)と、「(神が)聞きたもうた」という意味のシメオンという名をつけた。

 第三の男児には、「わたしは彼に三人の子を産んだから、こんどこそは夫もわたしに親しむだろう」(創世記2934)と「親しみ結び合わせるもの」という意味のレビという名を与えた。この子孫がのちに祭司の家柄として、イスラエル民族の中で特別の役割を務めるようになる。

 レアはさらに第四の男児を授けられ、「わたしは今、主をほめたたえる」(創世記2935)と晴れ晴れしい感謝の気持ちで、「彼を賛美しよう」という意味のユダという名を与えた。このユダの血統からイスラエル最盛期の名君ダビデとソロモンが生まれ、その流れからイエスの母マリヤの名目上の夫、ヨセフが生まれてくるのである。

 ルベンはのちに、ラケルが子を得たいと願ってヤコブに与えたつかえめビルハと過ちを犯したので、ヤコブは嘆いて長子としての特権を与えなかった(創世記494)。またシメオンとレビに対しても「彼らのつるぎは暴虐の武器」(創世記495)と非難し、のろいの言葉を残している。

 それに対し、ユダにだけは「ししの子」と呼んで絶賛し、「もろもろの民は彼に従う」と最大の祝福を与えている(創世記4910)。おそらく、このユダをみごもったころになって、ヤコブはレアに愛情を持ち始め、その思いがユダに結実したのであろう。

 のちにこのユダと、ラケルが生んだ最後の子ベニヤミンの二氏族だけがソロモン王の子レハベアムに従って南王朝ユダをつくり、他の十氏族はソロモン王の臣下であるヤラベアムに従って北王朝イスラエルをつくるようになる(列王紀上112631121220など参照)。

 このうち北王朝は荒廃甚だしくアッシリアに滅ぼされ、南王朝もバビロニアの捕囚となるが、ペルシヤ王クロスの手によって奇跡的に解放され、再びカナンの地(パレスチナ)に還って神殿を復興することができた。今日ヤコブを祖とする民族をイスラエルと呼ぶよりはむしろユダヤ人というのが普通であるのは、このユダの子孫を中心とする南王国だけが生き残って、その宗教的伝統を守り続けたからにほかならない。

 このようにレアには四人もの子が授けられたのに、ラケルには一人の子供も生まれない。ラケルはヤコブの愛情が自分の側にあることを信じつつも、四人も水をあけられたことで不安になってきた。

 「どうして姉にばかり子が生まれ、わたしには生まれないのでしょう。わたしに子供を下さい。さもなければ生きていても意味がありません。死にます」

 レアをねたんでヒステリックに言うラケルに、ヤコブは手をやいた。

 「わたしとてどれほど子供の生まれるのを願っていることか。しかし、胎に子供を宿らせないのは神のご意志によるものだ。

 どうしてわたしが神に代わることができよう」

 ラケルはついに決意して、つかえめビルハをヤコブに与えた。やがてビルハはみごもり男児を生み、その子を「あなたがたのお子様です」とラケルのひざの上に置いた。ラケルの胸のうちはようやく晴れ、「神はわたしの訴えに答え、またわたしの声を聞いて、わたしに子を賜わった」(創世記306)と言い、ダン(さばき、正義を行う)と名づけた。

 このダンから起こった一族はのちにカナンの一番北に住むようになり、北王朝が滅んだのち、いつの間にかその名が消えている。ヨハネの黙示録にあるキリスト再臨の時に、神に召されるとされている十二支族のうちにも加えられておらず、その代わりにヨセフの長子マナセの一族に置き換えられている(黙示録758)。この消滅してしまった一族は一体どこへ行ってしまったのか。──韓民族の祖と仰がれている檀君(だんくん)がこの一族の流れではないかという説もあるが、真偽のほどは私には分からない。

 その後ビルハはまたみごもって男児を生んだ。そこでラケルは、「わたしは激しい争いで、姉と争って勝った」(創世記308)と言って、ナフタリ(争い)と名づけた。

 レアのほうも負けてはいなかった。自分に子供が生まれなくなったのを見て取ると、そのつかえめジルパをヤコブに与えた。ジルパも立て続けに二人の男児を生む。レアはそれを喜び、第一の子にガド(禍福の神、幸福の意)、第二の子にアセル(幸福)と名づけた。

 レアは子供を生む競争でラケルにつめられた差をたちまち取り返したのである。しかも、ラケルにはまだ自分の胎を通して生んだ子はまだ一人もいなかった。

 さてある日のこと、レアの長子ルベンは麦刈りの日に野に出て恋なすびを見つけ、母のもとに持って帰った。この恋なすびは、妊娠を助ける不思議な働きがあると信じられてきたものである。

 それを見ると、まだ一人も自分で子を生んだことのないラケルはレアに、

 「あの恋なすびをぜひわたしに下さいませんか」

 と懇願した。この言葉の裏に女の悲しみと願いのすべてが、いちずにほとばしり出ているのがあわれである。レアは冷たく突き放すように言う。

 「ヤコブはもともとわたしだけの夫であるはずでした。それをあなたは横取りしたのです。そのうえ、わたしの子がせっかくわたしのためにと取ってきた恋なすびまで取りあげようとするのですか」

 どうしてもヤコブの子が欲しいと思いつめるラケルは必死であった。

 「ではその恋なすびの代わりに、今夜はヤコブをあなたに譲りましょう」

 レアは今夜はだれはばかるところなくヤコブを独占できる。そう思うと喜びが胸いっぱいに広がるのを感じた。だれがラケルになど負けるものかと女の意地にかけて人目につかない部屋の片隅で、もう一度自分に子が授かるようにと神に祈りに祈った。

 やがて夕方になりヤコブが仕事から帰ってくると、レアはいそいそと出迎えてラケルとの取引のことを話した。

 「そういうわけですから、今夜はわたしがあなたを雇ったのです。わたしの所に来なければなりません」

 雇った? ……ヤコブはうんざりした。自分は雇い人なのか。しかし考えてみれば、自分もパンとレンズ豆でエサウから家督権を買い取ったのだ。恋なすびで買われるのも仕方があるまい。ヤコブは屈辱を感ずる一方で、それほどまでに自分の愛情を求めるレアがいじらしく、いつになく優しくレアを抱きしめた。

 「ヤコブはその夜レアと共に寝た。神はレアの願いを聞かれたので、彼女はみごもって五番目の子をヤコブに産んだ」(創世記301617)と聖書にはある。

 レアは自分のつかえめを夫に与えてまで、ヤコブの家の繁栄のために子を得させようとしたから、神がその値として再び子を授けてくださったのだと思い、イッサカル(恵みを示してくださるように)と名づけ、さらにもう一度みごもって得た六番目の子にゼブルン(贈りもの)と名づけた。

 「わたしは六人の子を夫に産んだから、今こそ彼はわたしと一緒に住むでしょう」(創世記3020)。

 そうしてさらに一人の娘を生み、デナと名づけた。

 神は、愛はラケルに、子はレアにとでも考えられてこのように事を運ばれたのだろうか。いずれにせよ、ラケルは、三人の女の胎を通じてヤコブに十人の男児が授けられるのを見ながら、なお自分自身の子には恵まれなかったのである。

 神は相手に十与えて初めて、自分の愛する者に一つの恵みを与えられる。ラバンがヤコブを10回だまし(創世記317)、モーセの時、エジプト王パロが10回にわたる災禍を受けながらなお心をかたくなにしてイスラエルの民を手放さなかった(出エジプト記811章)というのも、これと同じパターンを踏む摂理のようだ。

 これだけ忍耐に忍耐を重ねさせたうえで、やっと「神はラケルを心にとめられ、彼女の願いを聞き、その胎を開かれた」(創世記3022)のである。ラケルは初めて得た男の子を前にして、「神はわたしの恥をすすいでくださった」(同3023)と、その子にヨセフ(神に加えたもう)と名づける。そうしてさらに、「主がわたしに、なおひとりの子を加えられるように」(同3024)と祈った。

 この祈りはずっとあと、カナンの地ベテルに帰還してからかなえられるようになる。それがベニヤミンである。このようなわけで、ラケルに直接与えられた子はたった二人であったが、その代わり長い、耐えがたいまでの忍耐の末に生まれたヨセフは特別の恵みを受け、数々の苦難を甘受した末、エジプトの宰相にまでなる強い運勢を担うようになるのである。

 以上、旧約聖書の記述にほとんどそのまま添って物語の筆を進めてきたのだが、子宝をめぐってのレアとラケルの争い──それはその簡潔な記事だけを見てもまことに悽愴(せいそう)をきわめたものであったことが分かる。最初の7年の次に訪れた7年。ヤコブにとってそれは、労役に加えて二人の妻と子をめぐる、まことに阿修羅そのままの苦難の道であった。


*
注:
9)神は人間を堕落した天使──サタンに奪われてからは、家督権を持つためにサタンが最も未練を持つ長子をサタン側に、次子を神側に立てて摂理される。カインとアベル、エサウとヤコブ、ゼラとペレヅ、洗礼ヨハネとイエスなど皆同じパターンである。モーセがイスラエル民族を主の祭をするために去らせてほしいと要求したのをエジプト王パロが拒絶した時、エジプトの長子、家畜のういごのことごとくを撃たれたというのも、やはりこれと同じ理由によるものである。

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 次回は、「ラバンの強欲」をお届けします。