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新・熱き祈祷のすすめ 6

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「新・熱き祈祷のすすめ」を毎週土曜日配信(予定)でお届けします。
 祈りの必要性や祈りの種類、実践方法をまとめた祈祷の手引書です。

松本 雄司・著

(光言社・刊『新・熱き祈祷のすすめ』より)

第一章 祈り

3 祈りの目的

⑦信仰路程を最後まで歩み抜くために
 私たちの歩むみ旨の道は、3年間歩めばもういいとか、5年間で卒業できるというものではありません。言うまでもなく、一生涯かかる道です。その途上では、情の問題や、カイン・アベル問題という人間関係の問題に苦しむこともあります。
 また、この激しいみ旨の道の中で病気になってしまった時、それでもなお、信仰を全うして、最後まで見事に歩み抜いていくことは、容易なことではありません。
 そのようないろいろな問題にぶつかった時、それを乗り越えていくためには、相当な努力が必要です。

 特に、絶望のどん底に追い込まれた時、あるいは見捨てられたような立場に立った時、すべてを失った孤独感の中で、自分にはこの体一つしかないというところまで追い込まれてしまいます。

 「私にはもう何もない。神しかいらっしゃらない」という孤独の絶頂の立場に立つのです。
 しかしそんな時、「いや私には神がいらっしゃるではないか」と気がつくのです。それが最後の原点になるとすれば、素晴らしいことです。
 まさしく極限の状態に追い込まれた時にこそ、神と私との絶対的な関係が見えてくるのです。

 私自身も、自分の信仰路程の中でそのような体験が一度ならずありました。むしろ孤独のどん底の中で神に出会ったのです。
 「私には何もない。神しかない。しかし、考えてみれば、この道に献身してきた時も、ただこの身一つをもって裸一貫で、神にすべてをゆだね、神を信じて身を投じてきたのではないか。主が与え、主が取られたのだ」と考えました。
 そこに至った時、「今までのものがすべて奪われたのは、私により大きな場を与え、より大きな訓練をなさるために、神がそうされたのだ」と、厳しくも深い神の愛をそこに発見して、感謝とともに再出発することができたのです。

 このように、信仰の路程を最後まで歩み抜くためにも、祈りは欠くことのできないものです。

 最も重要なことは、神との約束です。「はい、私はこの道をどんなことがあっても行きます」と決意しなければなりません。第一に、そういう絶対的誓約がなければ、神は助けることができません。それは祈りの始まりです。(「祈祷の重要性」1979年4月15日、ベルベディアにて)

⑧神がそれを求めておられるから
 最後に、私たちがなぜ祈るのかという、最も素朴でありながら最も大切な理由を考えてみます。
 それは、神が私たちに祈ることを求めておられるからです。
 エレミヤ書33章3節で、神はこう約束しておられます。「わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える」。

 私たちは案外、信仰的なことだけを神に祈っていることが多く、現実に自分が苦しみ悩んでいる泥臭い問題を、神に相談していない場合があるのです。必ずしも神はそれを喜ばれません。私たちが現実に抱えて葛藤しているどんな問題についても、相談を持ち込んでくれることを、むしろ親なる神は待ち望んでおられるのです。

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 次回は、「祈りの基本原則」をお届けします。


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