愛の知恵袋 23
おふたり様の幸せ

(APTF『真の家庭』133号[11月]より)

松本 雄司(家庭問題トータルカウンセラー)

 先日、ある女性と電話でお話ししたとき、「先生!私、結婚することになりました!」と嬉しそうな声。「えっ、そう。それは良かったね。で、お相手は?」としばらく話を聞きました。この女性は40歳。1年ほど前お会いしたときはまだ独身で、キャリアもあり容貌も気立ても良さそうな人なのに、なぜ結婚しないのだろうかと不思議に思った記憶があります。そのとき、「結婚はいいものですよ。是非したほうがいいですよ」と私から言われたことが一つのきっかけになって、「よし、やはり結婚しよう」と心に決めて積極的に行動したところ、数カ月後に自分の希望に叶う男性が見つかり、とんとん拍子で結婚が決まったというのです。

「おひとりさまの老後」は幸せ?
 最近は、『おひとりさまの老後』(上野千鶴子著・法研)という本がベストセラーになり、シングル女性の人達の気勢が上がっています。私もこの本を読ませていただきました。現代社会の高齢者の実情に触れながら、シングル女性の生き方、暮らし方、楽しみ方、介護の受け方、葬式の形から死後の遺体処理のことまで詳しく書いてありました。一人で暮らす女性は大いに勇気づけられたことと思います。私にとっても参考になることがたくさんありました。

 老後に起こる問題の分析には説得力があり、また、男顔負けの辛辣でコミカルな論調が小気味よく、シングル主義の女性や、夫に愛想を尽かして離婚した女性達には胸のすくような話もあって、大受けしたようです。

 一人で生きるのは、男にとっても女にとっても不安が伴います。特に女性は晩年を一人で暮らす人が多くなります。彼女達に対するエール、あるいは生活の知恵や心構えとしてはこの本は大いに有意義だと思います。

 ただ、私の読後感想としては、なぜかしっくりこないものが残りました。なにか根本的なところでの”不自然さ”と”違和感”を覚えたのです。それは、女性の生涯独身主義を美化し奨励しているような面を感じたからかもしれません。

独身主義の“不自然さ”
 この“不自然さ”という感じはどこから来るものか…と考えてみると、それは、“結婚”や“家庭”というものを”人間が勝手につくった形式的なもの”として捉え、軽く見過ぎているのではないかと感じたことから来るのでしょう。

 大自然の動物達を観察しても、食べること、生きることだけで終わるのではなく、パートナーを選んで巣を作り、仔(卵)を産んで独り立ちさせるまで育てるということに命がけです。人間といえども、好きなように生きる権利と自由はあるとしても、最低限の義務と責任があるはずです。男も女も結婚して愛し合い、子供を生んで独り立ちするまで育てるというのが本来であり、最も”自然な生き方”なのです。男と女の結婚は、人間が勝手につくった社会的形式ではなく、もっと根源的な宇宙大自然のルールともいうべきものではないでしょうか。

愛のあるところに幸せがある
 人間は”幸せを求める動物”です。“幸せ”とは、欲求が満たされるときに感じる情感です。人間の精神的欲求の中で最も強い欲求は“愛されたい”という欲求でしょう。

 この欲求を満たしてくれるのが様々な“愛”です。夫婦愛、親子愛、兄弟愛、友人愛、師弟愛、同志愛…など、たくさんの愛情がある中で、人間の幸・不幸に最も深く影響を与えるのが親子と夫婦の愛情です。

 男でも女でも、一生独身主義で生きることはできます。「一人暮らしでも、気の合う友達をたくさん作っておけばちっとも寂しくなんかない」ということは言えるかもしれませんが、そこで得られるのは、“友情の愛”までです。独身主義で通すということは、愛し合える伴侶がいないというだけではなく、子供もいないということです。従って、最も人間の情の根幹にかかわる”夫婦の愛”と“親子の愛”を享受できないということになります。果たして、それで本当に幸せになれるでしょうか?そう考えると、やっぱり”おひとり様”よりも、“おふたり様”のほうがよいのではないでしょうか。

 私が最近目にした詩の中に、とても意味深く感じさせられた詩がありますので、ご紹介したいと思います。71歳になる大阪市の三好克彦さんの詩です。(産経新聞平成21104日朝刊朝の詩より)

●ひとりぐらし

 淋しいでしょ
 「いや 全然」と私
 不便では
 「いや 全然」と私
 困ることは
 「いや 全然」と私
 じゃ、幸せなんですね
 「いや…全…然」と私