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神様はいつも見ている 3
~小説・K氏の心霊体験記~

徳永 誠

 小説・K氏の心霊体験記「神様はいつも見ている」を毎週土曜日配信(予定)でお届けします。
 世界平和統一家庭連合の教会員、K氏の心霊体験を小説化したものです。一部事実に基づいていますが、フィクションとしてお楽しみください。同小説は、主人公K氏の一人称で描かれています。

第1部 霊界が見えるまで
3. 私に与えられた使命

 もし死というものが、私が考えているようなものだったら、それは苦痛ではなく、眠るような感覚、意識がスーッと消えていくようなものと言えるかもしれない。

 生きているのか死んでいるのか分からないような曖昧な気持ち。
 死ぬのは大変だと常々思っていたが、実は死ぬことはそれほど難しくはなく、ちょうど飛行機にでも乗って見知らぬ外国へ旅立つようなものではないか、とも考えるようになった。

 死ぬことも生きることも自分の意思ではどうすることもできない。神様の計らいがそれを決めるのだという確信を持つような体験をしたからだ。

 霊眼が開けた時、私は悪霊たちの集団だけではなく、その反対の存在を示唆する幻のような光景も目にしている。
 キリスト教の聖書にあるような光の天使たちを目撃したのだ。

 天使たちは病室のベッドの四方に、私を守るように立っていた。
 天使たちの顔は西洋絵画のような神々しい光を放ち、そして天使たちの向こうには私のことを心配している家族の姿や私が信仰する家庭連合の教会員たちの姿がおぼろげに映っていた。

 「教区長の命が助かりますように」

 そのような声なき声が聞こえてきた。
 祈る人々の姿は輝いていた。
 ああ、私のためにこんなにも祈ってくれる人々がいる。涙が私の頬を伝った。

 後に知ったことだが、教会の総務の女性が、心臓が止まってしまった私の命が助かるように祈ってほしいと教会員たちに連絡していたのである。

 私は長い間、神道の信仰を持ち、母親が霊能者でもあったので、祈祷がどれほどの効力を持っているかを経験的に知っている。
 だから私が今、このように地上にとどまり、叙述できているのも、家庭連合の兄弟姉妹たちの祈りと、霊界の先祖の助けによるものであることが分かる。

 なぜ私のような者が命を救われたのか?
 それほどの功労が私にあるというのか?

 その意味をかみしめると、救いを求める霊たちの強い思いを感じずにはいられない。世の中の人々に霊界のことを知らせることが私に与えられた使命なのだと…。

 このことは後で記すことになるが、日本の八百万(やおよろず)の神々は、西洋のキリスト教でいう天使的な存在であり、その一部は人間の霊も含まれている。

 そのことは、日本の神道では死んだ偉人を神に祭っていることからも理解できるだろう。
 東京にある東郷神社や乃木神社は、生きた人間を死後に祭ったものである。偉大な実績や功績のあった英雄的な人物は死後、神になるという死生観が日本人の古くからの考え方である。

 今神々として祭られているものの中にも、古代に生きた人間が神として祭られている例も少なくない。
 しかしたとえそうであっても、資料も何もない伝承だけの古代について、それを知ることはなかなか難しい。


実在する霊界
 私が人と違う人生を歩むようになったのは、私が遭った生死にかかわる三つの事件がきっかけとなっている。

 そのうちの二つは、私自身に起こったことだが、もう一つは私の父の交通事故だった。
 この三つの体験を通して、私は現実の世界の他に存在する「霊界」というものを意識せざるを得なくなった。先祖や神様という存在を知ることによって、私の人生は大きく変わっていったのである。

(続く)

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 次回は、「父親の交通事故」をお届けします。