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真のお母様の人生 6

お父様、子女様、統一家食口のために歩んでこられたお母様の人生

(『TODAY'S WORLD JAPAN』2014年1月号「証し お父様、子女様、統一家食口のために歩んでこられたお母様の人生〈後編〉」より)

 『TODAY'S WORLD JAPAN(トゥデイズ・ワールド ジャパン)』に掲載された、鄭元周(チョン・ウォンヂュ)総裁秘書室長の証しを毎週月曜日配信(予定)でお届けします。

 真のお父様と最終一体をなし、天宙の母として立たれた真のお母様とはいかなるおかたであるのか。真のお父様が霊界から「あなたは神様が摂理のために私に下さった最愛の妻であったばかりでなく、最も誠実で身近な弟子だった」と語られた、そんなお母様のお姿の一端に触れることのできる証しです。
 この証しは2003年、真のお母様の還暦を祝って韓国で刊行された「韓鶴子(ハン・ハㇰチャ)総裁還暦記念文集」の第2巻に掲載されたものを翻訳し、整理したものです。(編集部)

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ジャルジン
息もできないほどの暑さの中開拓の先頭に立たれた真の父母様

 199412月、南米は夏でした。ジャルジン(ブラジル、マットグロッソ・ド・スル州)に初めて行ったときは、行けども行けども平原が広がり、(地面から隆起している)アリの巣が至る所にあるだけの、田舎の風景そのものでした。息もできないほどの暑さでした。

 12月になるとジャルジン近辺は禁漁期間に入ります。しかし私たちは警察の保護を受けて、川で釣りをすることができました。あまりの蒸し暑さに、水の中に入って釣りをするほどでした。警察官たちもいつも水に入り、腹を出して仰向けに浮かんだまま、私たちを見守っていました。真の父母様も、昼食のときも水の中から首だけを出して、船のへりにつかまりながら召し上がったものです。

 ジャルジンには、黄土水の流れる黄金の川(ミランダ川)と水が澄んでいる銀の川(プラタ川)があるのですが、父母様はその二つの川が交差する所で釣りをなさいました。初めて釣りをなさる前に、船で辺りを一周しました。そこは密林地域で、木の枝々が川に大きく張り出しているため、船で走るときは伏せなければなりませんでした。

 この最初のクルージングのとき、りっぱなドラドがジャンプして、走る船の中に飛び込んできたのです。お父様はこれに何か摂理的な意義をお感じになったようでした。非常に深刻に考え込まれ、祈祷をなさるお姿を拝見しました。

 最初の年は、まだ真の父母様の公館が用意されていなかったため、家を借りて生活したのですが、言葉で表現するのが困難なほど劣悪な環境でした。蚊が多く、ウシバエのような虫もたくさんいて、父母様もあちこち刺されて大変苦労されました。アリが人間の髪の毛の中で卵を孵(かえ)すこともあったのです。

 父母様はいつも屋外で食事をなさいました。また、木製の寝台を幾つか前庭に設置し、夜はそこに座ってみ言を語ってくださいました。み言を拝聴しているうちに、夜露で服がぐっしょりと濡れたものでした。夜空にはいつも南十字星が浮かんでいて、明かりがない分、星がさらに近く見えたことを思い出します。

 川辺は、水の浸食によって倒れた木があちこちにあり、釣りをするのが大変でした。そこでお父様は、そこに来ていた人々(修練生)を男女二人ずつ20組に分けて、各自で釣り場を造るように指導されました。お父様とお母様もペアになられました。そして各ペアは、川辺の担当エリアをシャベルと鎌を使って整備したのです。また、黄金の川と銀の川がぶつかる三角地帯に東屋(あずまや)が一つあったのですが、父母様は手ずから、そこに階段をお造りになりました。

 荷物の運搬も大変でした。当時、辺りはうっそうとした森で、雨が降るとぬかるみになり、父母様の荷物が赤土まみれになったこともありました。夜は真っ暗闇になるので、修練生たちがたいまつを掲げて一定の間隔で並んで立ち、その灯を頼りに運搬しました。父母様もその灯に沿って移動されました。

 このように草創期は正に開拓でした。ここで父母様は「ニューホープファーム宣言」をなさり(199543日)、「絶対信仰、絶対愛、絶対服従」を宣布されたのです。

(続く)

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 次回は、「パラグアイ川踏査の船上で訓読会の伝統が出発」をお届けします。

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