2023.03.31 12:00
青年よ行け、そして世界を救え 2
36家庭の朴普熙(パク・ポーヒ)先生(1930~2019)による講演「青年よ行け、そして世界を救え」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
朴普熙先生は1957年入教後、1961年に駐米韓国大使館の陸軍武官補佐官として米国に赴任。1972年以降、38年間にわたり文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁の特別補佐官を務め、「ワシントン・タイムズ」社の初代社長をはじめ統一運動の重職を歴任されました。
同講演は朴普熙先生を知る世代のかたはもちろん、二世・三世の若い世代の皆さんにもぜひ読んでいただきたいメッセージです。
(光言社・刊『青年よ行け、そして世界を救え』より)
一、神の実在の問題
皆様。
それは、神の実在の問題でございます。
この宇宙に神がいるか、いないかを判断することであります。天地を創造し、森羅万象をおつくりになられ、私たち人類をつくられた創造の神はいるのか? それとも、この宇宙と人生は偶然なのか? その神がいるとするならば、その神の創造の目的はいったい何だったのであろうか。その神と私とは、どんな関係にあるのか。
これを判断せずには、私たちの人生の真なる目的地は定められません。神を認める人生と神を認めない人生は、天地の差があり、その角度が180度違うからでございます。若い皆様はこの問題を解決して、人生航路を決めるべきであります。
果たして神はいるのか
果たして神はいるのか?
長い人類の歴史の中で、一番迫害を受けてきた方は、ほかならぬ神様でございます。人類歴史の中で、神はいろいろな形で否定され、冒瀆(ぼうとく)されてまいりましたが、それがいよいよ19世紀に至って、神を葬る運動は本格的になったのであります。
1841年、ドイツの哲学者、ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ(Ludwig Feuerbach)は、「キリスト教のエッセンス」(The essence of Christianity)という論文の中で、「神は人間がつくり出したものだ(Man created God)」と宣言しました。無いものをつくり出して、拝んでいる、愚かな人間だということでございます。
1886年に、ドイツ人、フレドリック・ニーチェは、それからもう一歩進んで、「神は死んだ(God is dead)」と宣言しました。
このような哲学から、共産主義という無神論に基づいた政治哲学が出てきたのであります。
特に、1917年、共産主義宗主国ソ連の勃興により、いよいよこの地上から神様を追放する運動が、本格的になりました。
共産主義の武器は何であったのでしょうか?
ほかならぬ科学でありました。共産主義だけが科学的だと叫び、試験管の中に入ってこない神はいないんだと主張し、「宇宙の根本は物質のみ」という唯物思想が輝いてきたのであります。
共産主義者たちは、「科学は共産主義の友である。科学は神と宗教、そしてすべての神話を追放するであろう。そして、宗教は人民のアヘンである」と叫びました。
皆様が、ここでまず記憶すべきことは、このような共産主義の科学万能の思想は、18、19世紀の科学から、その所信がきたということであります。
彼らは明らかに、20世紀になれば、尖端科学の力をもって神を地上から追放して余りあると、固く信じたのでございます。彼らには科学が神様でありました。
ところが、20世紀の科学は、彼ら共産主義者たちの予言のごとく、神をこの地上から追放するチャンピオンになったのでしょうか?
皆様。
思いがけないことが、起こったのです。科学の本来の使命は、自然界の研究であります。霊的な神の存在を論ずることは科学の使命ではありません。それにもかかわらず、その20世紀の科学が意外にも、神の最大の味方となったのでございます。
このごろアメリカでは、『God & THE NEW PHYSICS』(神と新物理学)という本が、ベストセラーになっています。
もしこの本を宗教家が書いたのなら、その価値がございません。ポール・ディービス博士は、原子物理学者でございます。なぜ、このような本が出てこざるを得ないのでしょうか?
それは、20世紀の科学の発展は、今や大きな壁にぶつかり、宇宙の基本原因、すなわち神が宇宙の根本であるという問題を考えずには、もう一歩も進展できない限界線まで来ているからでございます。ポール・ディービス博士は、このように言いました。
「私の考えでは、宗教よりも科学が、神に至るより確実な道を示すと思う。宗教より早く、神を感知することのできる道は、科学の道である」と。これは神なき共産主義者から見れば、まさに、青天の霹靂(へきれき)とも、言うべき、思いがけない進展でございます。
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次回は、「原子物理学から見た神の実在」をお届けします。