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愛の勝利者ヤコブ 25

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「愛の勝利者ヤコブ」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 どの聖書物語作者も解明し得なかったヤコブの生涯が、著者の豊かな聖書知識と想像力で、現代にも通じる人生の勝利パターンとしてリアルに再現されました。(一部、編集部が加筆・修正)

野村 健二・著

(光言社・刊『愛の勝利者ヤコブ-神の祝福と約束の成就-』より)

イサクの祝福②

 ヤコブは、リベカがとっさの機転で、取ってきた子やぎを、料理と肌の擬装という二つの目的のために余すところなく利用し尽くしたその知恵に感嘆すると共に、思い詰めた女の執念のすさまじさを肌身に感じて、内心感謝と共に寒けを覚えもしたのであった。ヤコブは母リベカの執念と熱気に押されるようにして、イサクの天幕に入った。中はうす暗かった。

 「お父さん」

 「わたしはここにいるよ、お前はだれだね」

 ヤコブはぎくりとした。覚(さと)られたかなと、一瞬そう思った。しかし、イサクはもう目が見えず耳も遠い。しくじってもともとと、そうは思いながら祈るような気持ちで、できるだけエサウに似せた太い声であとを続けた。

 「エサウです。お言いつけどおり、鹿の肉を料理してまいりました」

 「ばかに早かったじゃないか」

 イサクはこのところ寝たきりのベッドから身を起こして、なかばいぶかしげに言った。ヤコブは、自分の胸が早鐘のように高鳴るのを感じた。

 「お父さんをお守りになっておられる神、ヤハウェのお恵みだと思います」

 リベカが自分の部屋で必死に祈っているのをヤコブは身近に感じた。そうだ、これは自分一個の問題ではない。神はわれわれ二人のうちからその身近に仕える民を起こそうとしておられる。もし自分にそのみ意(こころ)があるのなら、この策略は成功するだろうし、そうでなければ化けの皮が剥(は)がされるだろう。すべて主のみ意のままに、──そう思うとヤコブも肝(きも)がすわった。

 イサクは声もさることながら、その改まったそつのない返事が心に引っかかった。エサウはこんなものの言い方はしないが……。

 「もっと近くへ寄りなさい。疑うわけではないが、これは二度と取り消すことのできない大切な祝福だ。はっきり触って確かめてみたい」

 ヤコブは考えることを止め、すべてを天に任せて父のもとに歩み寄った。手にかぶせたやぎの皮を、イサクはしばらくまさぐり続けた。長く重い沈黙──ヤコブは心が虚無のうちに溶け込んでいくのを感じた。父も自分もいない。ただ神のみ居ましたまう。

 ………………………

 イサクはやっと、宙に向かってつぶやくように言った。

 「声はヤコブの声だが、手はエサウの手だ」(創世記2722)。

 明らかにそこには当惑の色があった。耳はすでにはっきりと物音を聞き分けられないほど遠くなっている。ただエサウではないという感じがするだけだ。それに対して、今この手にはっきり伝わってくる感触は間違いなくエサウのものだ。となれば、その残っている確かな感覚のほうを信じるしか仕方がなかった。イサクの眉間(みけん)にはしわが寄った。

 「お前は確かにエサウだな」

 「そうです」

 長く話してしくじったと感じたヤコブは、短くぶっきらぼうに答えた。

 「分かった。ではわたしの所にその料理をもって来なさい」

 こんなことを尋ねてみたところで何にもならないことは、イサクにも分かっていた。それはただ自分の心に言い聞かせ、強いて納得させるだけのことだった。イサクは忍び寄る不安を打ち消すように、あえて陽気に食べ、ぶどう酒もふだん以上にぐいぐいと飲んだ。

 「さあ、エサウよ、ここまで来てわたしに口づけしなさい」

 ヤコブは自分の耳を疑った。ああ主よ、あれほど用心深いイサクが明白な疑惑を残しながら、もうそれ以上には詮索(せんさく)をせず祝福の意思表示をするとは。神以外の何者がこのような奇跡を起こしえよう。ヤコブはこの神の選びに涙ぐみ、感謝と共に宇宙全体を背負うような重い責任を、ずっしりとその両肩に感じ取ったのであった。

 いったん事が決まると、あとは早かった。イサクは口づけを受け、深々とヤコブの着物の薫りをかぐと、水の流れるように祝福の言葉を述べた。

 ああ、わが子のかおりは、
 主が祝福された野のかおりのようだ。

 ………………

 もろもろの民はあなたに仕え、
 もろもろの国はあなたに身をかがめる。……………(創世記272729

 祝福の言葉は滔々(とうとう)と続く。老人とは思えない凛(りん)とした張りのある声であった。神がイサクを通して自分に語りかけ、祝福しておられるのだ。そう感じた時、ヤコブの目からはとめどもなく熱い涙がこぼれ落ちてくるのであった。

 こうして、かつて彼ら双生児(ふたご)がリベカの胎中にあった時、主がリベカに告知された預言(創世記2523)が成就されたのである。

 しかし、「だます」という不穏当な行為のゆえに、ヤコブは後に、長い年月にわたって苦役に服さねばならなくなった。

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 次回は、「リベカとの語らい」をお届けします。