家庭力アップ講座 2
第1章 序論①

(APTF『真の家庭』201号[7月]より)

家庭教育アドバイザー 多田 聡夫

 教育は、育つ環境を作ることが大切になります。一つの例を紹介します。私の子供が、保育園に通っている時に、ある先生を保育園に招いて、父母の為の勉強会が開かれました。昔の話になってしまいますが、その時のお話がとても印象的でしたので紹介します。

 「中学2年の男の子の家が『下駄屋』でした。夕食にお母さんが、川魚の煮物を出してくれました。男の子は、魚が嫌いで『魚は嫌いだ。他のおかずがほしい』とわがままを言うのです。母親は、『はいはい』と言って、立ちあがろうとすると、父親は『魚を食べなさい』と強く息子に言いました。息子は、ふてくされて夕食を食べずに自分の部屋に行ってしまいました。息子の心が収まらず『くそう、親父め』と心がイライラしたまま、ごろんと横になって天井を見上げていました。すると父親が、朝の4時半から起きて、一生懸命下駄を作る様子が浮かんできたのです。左右の下駄が、しっかりと対になるように、履きやすいようにと一生懸命に働く父親の後ろ姿が、息子の心に浮かんできました。いつも見ていた父親の後ろ姿を思い出したのです。その時、息子は、夕食の時の『わがまま』を言ったことが申し訳なかったと、心が痛みました。そして、息子は台所に行き、嫌いだった川魚を思い切って食べたのです」

(1)子供の反抗期は親がつくる
 子供の成長過程には、反抗期というものがあります。「うちは反抗期のまっただ中です。反抗して大変なんです」と思春期を迎えた親からよく聞きます。また反対に「反抗期はありませんでした」などというケースもありますが、子供は反抗したくて反抗しているわけではありません。むしろ、親が反抗期をつくりだしている場合もあるのです。

 人間は自由意思と自由行動によって責任分担を果たすようになっています。小学生、中学生、高校生と、成長とともに自由意思と自由行動の世界が拡大していくのです。

 幼児のころは全面的に親に頼っていた子供も、成長するに伴い、自立心が芽生えてきます。自分でやってみたい、自分で考えてみたいという心が芽生えているのに、小さいころと同じように扱うと、子供の自立心を妨げてしまいます。その結果、それをはねのけようとして子供が親に反発することを、反抗期というのです。ですから、反抗期と言うよりは、「自立期」と言う方がいいのではないかと思います。子供から大人へと心が成長していく大切な時です。心が不安定になり、敏感になっていく時期です。ですから、自分でも自分の心をコントロールできず、ついカッとしたり、反発して親の心を傷つけたりする言葉を吐いてしまうことになります。

 親が子供の心の動きにアンテナを張っていれば、子供の心の変化はいくらでも感じ取ることができるのに、それをしないまま、今までと同じように子供と対応して、それに対して子供が口答えをすると、親は「親の言うことが聞けないのか」と決めつけ、高圧的に怒ってしまうわけです。

 また、「うちの子は全く反抗しません。問題ありません」という家庭はもっと深刻です。なぜなら、反抗すらもできない子供に育ったということは、自立期を通過しているかをよく見てあげなければなりません。いろいろと我慢して自分の心の中にため込んでいる可能性があります。そのような子は、下手をすると主体性がなくなり、自信を持てなくなる可能性すらあるのです。

 私達は生涯、子供の「人生の応援団長」でありたいものです。いいことがあれば一緒に喜んであげたいし、悲しいことがあれば一緒に悲しみを分かちあってあげたいと願います。しかし、子供が大きくなるにしたがってだんだんと子供の心が理解できなくなってしまいます。そんな時、子供の行動が、次第に受け入れられなくなってしまい、子供の気持ちに共感できなくなっている自分を発見することが多くなります。そして、ついイライラして子供の行動だけを変えたいと思ってしまいます。

(2)親の愛、子供に届くには
 両親は、「やる気」と「思いやりの心」「感謝の心」が育つ、真の愛情に包まれた教育環境を整えることが大切です。

 「やる気」のある子供は自分で考え、行動しようとするので、頼もしいのですが、その「やる気」には「正常な心」が働いていなければなりません。

 「正常な心」とは、うれしいときにはうれしいと表現できる心、親の愛情を素直に受け止め、家庭の大切さを理解し、家庭のために貢献できる素直な心のことです。親の喜びや悲しみ、うれしい思いを素直に感じ取れる心をもっている人は、自然に「やる気」が育ってくるのです。

 真に「やる気」のある子になるためには、親の「真の愛」が必要です。ここで言う「真の愛」とは、子供に正しく届いている愛のことをいいます。相手を「愛する」ことは重要ですが、その愛が、きちんと「相手に届いて」いなければならないというのです。

 子供を愛していない親はいませんが、長男や次男、長女といった個々の子供が、親の言うことを聞かなかったり、反抗したりしたとき、私達は「本当に自分はこの子を愛しているんだろうか」と自問することもあるでしょう。あまりよい思い出がない場合、例えば、子供から暴力を振るわれたりしていたら、親は子供に拒否反応を覚えることも、なくはありません。それでも親は子供を愛しているわけですが、そのような時は、親の愛情が子供に届いていない場合があるのです。親が子供を愛することと、愛する気持ちを子供に伝えることは別なのです。日本人はどちらかというと、親として子供に対する愛情表現が下手な人が多いようです。

 どうしたら親の愛情が子供に届くのかということについて確認し、勉強しなければいけません。私たちは、そのように「相手に届く」ように愛することを訓練しながら生活化していくわけです。(続く)