2022.12.27 22:00
歴史と世界の中の日本人
第28回 八木秀次
世界に誇る発明を成し遂げた日本人
歴史の中で世界を舞台に輝きを放って生きた日本人が数多くいます。知られざる彼らの足跡を学ぶと、日本人の底力が見えてくる!
「歴史と世界の中の日本人」を毎週火曜日配信(予定)でお届けします。
「八木アンテナ」をご存じだろうか。日本が世界に誇る大発明の一つである。
ポポフの無線通信アンテナの発明から30年後の1925年、八木秀次(1886~1976)らによって日本で世界に先駆けて指向性アンテナの原理が発見され、「八木アンテナ」が発明された。
テレビアンテナとして使われ、3本の素子を基本にして平行に並べ、電波を効率良く受信・発信する構造のアンテナである。
八木アンテナは、単純な構造ながら驚異的な精度を誇る電波の受送信機であり、超短波用アンテナとして外国の模倣を許さないものであった。
しかし、この偉大な発明も当初はわが国において必ずしも正当に評価されるものではなかった。
日本国内での反響は全くなかった。学界からも無視された。
八木アンテナに注目したのは第二次世界大戦時の敵国、イギリスであった。
イギリス軍はこれを使用してレーダーの性能を飛躍的に向上させ、陸上はもちろん、戦艦や航空機にもレーダーと八木アンテナを装備し、敵戦隊をいち早く察知するのに成功した。
まさに八木アンテナが戦局を優位に運んだとさえいわれている。
1942年にシンガポールを攻略した日本軍が接収したイギリス軍基地から押収したレーダーに関するノートに「YAGI」という文字が記されていたが意味が分からず、捕虜に聞いたところ「お前たちは知らないのか? アンテナを発明した日本人の名前だ!」と言われたという逸話は有名だ。
戦後、テレビの時代が来て「八木(YAGI)」の名は一層世界に知れ渡ることとなった。
英英辞典には今なお「YAGI」の名称が載っているという。
八木秀次は大学の講義で、「本質的な発明ができるようになるためには心眼で電波が見えるようにならなければならない」と学生たちに語ったという。
不遇の時期も多かったが、八木は晩年に至るまで、後進の人材の発掘・育成に尽力し、多くの有能な人材の輩出に貢献している。
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次回は、「10億人を救った日本人」をお届けします。