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私たちの真の父母様
〜文姸娥様のメッセージ〜

真のお母様は今、何を見詰めていらっしゃるのか(1)

(『世界家庭』2015年10月号「文姸娥様のメッセージ 真のお母様は今、何を見詰めていらっしゃるのか」より)

 『世界家庭』に掲載された「文姸娥様のメッセージ」を毎週土曜日配信(予定)でお届けします。

 文姸娥(ムン・ヨナ)様(文孝進〈ムン・ヒョウヂン〉様令夫人)が8月14日から18日、真のお母様の願いを受けて来日され、各地を巡回して親しくメッセージを語ってくださいました。
 文姸娥様は一貫して、真のお母様のご心情に寄り添いながら、「真のお父様の願いを成し遂げようとされるお母様と共に、天に孝行を尽くしていきましょう」と訴えられました。

 ここでは、東東京教区新宿教会で8月15日に開かれた国際祝福家庭の集いで、首都圏の国際祝福家庭630人を前に語られたメッセージ(翻訳し、整理したもの)の一部を紹介します。なお、タイトルは(『世界家庭』)編集部で付けました。(文責・『世界家庭』編集部)

▲国際祝福家庭の集いでメッセージを語られる文姸娥様(8月15日、新宿教会)

真の父母様を通して初めて、本当の天の父母様のお姿を知った私たち

 皆様、こんにちは。お会いできてうれしいです。

 先ほど、25年前に孝進様が新宿教会に初めて来られて聖別式をされたときの写真を見せていただきました。それで、孝進様がいつも語っておられた言葉が思い出されました。

 「自分自身の限界を知らなければならない。その限界の中で最善を尽くし、その限界を超える欲を持ってはいけない。自分がいくら努力してみても、真の父母様の子女であるだけだ」

 「真の父母様の前に、私はただ通り過ぎる人にすぎない。どんな実績があったとしても、それは真の父母様によって与えられたものだから、真の父母様にお返しするものだ。全ては真の父母様を中心として始まったものだから、私という存在はないのと同じだ。全ては真の父母様に帰結されていくだろう」

 このような孝進様のお考え、姿勢は、正に真の父母様から来たものです。真の父母様こそ、どのような誇らしい実績があったとしても、全ては天の父母様(神様)の導きであるとして、栄光をおささげになったではありませんか。

 真のお父様のご在世時、アメリカでの大きな大会を勝利された翌日の訓読会のときだったと記憶しているのですが、お父様はこう語られました。「全ては神様がなさったことだろう」と。お父様のご生涯とは、「天の父母様に孝行をするために最善を尽くされた」、これに尽きると思います。

 ここで、真のお父様のみ言を紹介しましょう。

 「真の父母を知る、ということですが、皆さんは、真の父母の家庭については、信じるのではなく、真の父母様を知り、真の父母様の家庭を知っているのです。信じているのではありません。

 ですから、“真の父母様を信じている”と考えてはいけない、というのです。“知っている”と考えなければなりません。……

 真の父母と生活しなければなりません。“知った”のですから、共に暮らさなければなりません。そうして、真の父母のように生きなければならないのです。……

 真の父母を知ることによって、神様を知り、この宇宙を知り、愛の世界を知り、それらすべてのものを知るというのです。……

 再臨主が来ることによって、真の父母が来ることによって、このようなすべてのことを知るようになったということは、驚くべき事実です。

 皆さんは、神様の愛がどのようなものであり、宇宙がどのようなものであるのか知っているのです。統一教会は、すべて知っているというのです。それ以上、教えてあげることがありません」
(1997年9月14日、米国ニューヨーク・ベルベディア)

 私たちは今、どうしてこの群れにいるのでしょうか? この世の人たちには理解できなくとも、私たちには分かるからです。真の父母様を通して初めて、本当の天の父母様のお姿、その愛を知ることができたのだということを。

 もう一つ、み言を紹介します。私が訓読する中で、真の父母様のご心情について深く考えさせられたみ言で、「精誠と愛」というタイトルです。

 「自分だけの一生ではありません。私が死んでも、永遠の人類解放のために神様の前に精誠をささげた度数は残されるということを考えるとき、それを心配し、精誠をささげて愛さなければなりません。こうすることによって、皆さんが霊界に行けば、神様と関係したその世界を、昔、愛して精誠をささげたので、解放圏が広がるというのです。

 それを考えるとき、み旨を知った以後の道というものは、楽なことはないのです。個人のために精誠をささげ、家庭のために精誠をささげなければなりません。もちろん、自分の家庭ですが、それは世界を代表して精誠をささげる一つの祭物です。生きた祭物の家庭のように、このような立場で進んでいくべきなのが、皆さん、祝福を受けた人々の解放的完成圏に到達することだということを、いつも考えなければなりません。

 ですから、疲れることのできない道です。心が足らず、涙なしに行くことができない復帰の道だということを考えなければなりません。何か良いものがあれば、私が先に食べると考えてはいけないというのです。孝子の道、忠臣の道とはそのようなものです。天を考え、世界人類を考え、私が持つ、このおいしい物を、私だけ食べるのではなく、神様を通して食べるので、その世界を心配する神様の眷属(けんぞく)になるのです」
(1999年1月5日、ウルグアイ・プンタデルエステ)

 真のお父様は、どれほど熱心に天の父母様のために生き、努力されたことでしょうか。どのような思いで祈られ、どのような思いで食事を召し上がり、どのような思いでお休みになったことでしょうか。それらのことを私は、自身の足りなさゆえに見過ごしてきたのだなあと、このみ言を読みながら思いました。

 私は真の父母様のご家庭と縁を持って、おそばで生活しましたが、おそばにいながらも、見ることも感じることもできなかったのです。遠くにいて学んだり経験したりできない皆様にお伝えすべき責任があったのに、それができなかったことを本当に申し訳なく思っています。

(次回に続く)

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 次回は、「52年もの間、喜びも悲しみも全てお父様と共にされたお母様」をお届けします。