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信仰と「哲学」111
希望の哲学(25)
「今、君を迎えに行こう」

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 人間にとっての希望は、第一原因であり、時空を超越して今ここに生きていらっしゃる天の父母様(神)と出会うことです。
 さらにその「心」に到達することです。天の父母様の中心は心、心情なのですから。それが侍るということです。

 人は皆、第一原因とつながらなければ、本当の自分、本当の人間、さらには自分の個性を発揮しての生き方はできません。
 個性は探すものではなく、天の父母様と一つとなった度合いに応じて発現するものなのです。
 第一原因とつながらなければ、他者(人間も自然も含む)と真の意味でつながることもできません。

 万有原力によって主体と対象が相対基準を結び、よく授け受けするようになるとあります。
 万有原力(心情)によらなければ、他者と本当の相対基準も結べないのであり、万有原力によらなければ他者へのあふれるような愛の心情と行動は生まれないのです。
 このことを実感しながら生活するのが信仰生活です。

 自分の「性自認」、「性的指向」を、同性愛や同性婚と結び付けて頻繁に語られる昨今です。
 しかし、繰り返しになりますが、自分自身に関する本当の認識(自認)は天の父母様につながらなければ、その心情とつながらなければ確定できないのです。

 電流が流れていない電球のように、自身の存在の意義や価値を確定できないのです。電流が流れるようになること、すなわち天の父母様につながることによって、自分は初めて輝けるのです。

 このように、人間にとっての希望は天の父母様と一つになることなのです。
 その道を示すのが文鮮明(ムン・ソンミョン)師のみ言(教え)と祝福、そして「神氏族メシヤ」への道です。
 重要なことは、「その道」があるということ。そして人間は誰しもその道を歩めるということ、それが希望なのです。

 突然ですが、財津和夫さん作詞・作曲の「青春の影」という歌があります。
 財津さんは今74歳で、大病を越えて最後の全国ツアー中と聞きます。
 「青春の影」の歌詞を以下に記します。

 君の心へ続く 長い一本道は
 いつも僕を勇気づけた
 とてもとても 険しく
 細い道だったけど
 今、君を 迎えに行こう

 自分の大きな夢を 追うことが
 今までの僕の仕事だったけど
 君を幸せにする それこそが
 これからの僕の生きるしるし

 愛を知ったために 涙が運ばれて
 君の瞳を こぼれたとき
 恋の喜びは 愛の厳しさへの
 かけはしにすぎないと
 ただ風の中に たたずんで
 君はやがて見つけていった
 ただ風に涙を預けて
 君は女になっていった

 君の家へ続く あの道を
 今 足元に 確かめて
 今日から君は ただの女
 今日から僕は ただの男

 この歌詞の「君」を、天の父母様や妻、子供たち、あるいは友人などに置き換えてみてください。
 心へと続く道があり、「君」を迎えに行けるようになるというのは、心と心がつながるということを意味すると捉えます。

 憧れ(恋)が愛に変わる時、その厳しさを知ることや、心と心が通じた時に自然に涙があふれるようになること。人間の幸せは決して物質的なものではなく(地位、名誉、財産などではなく)、心と心がつながることであり、その時人間は誰もが、「肩書」を捨てきった一人の男となり、女になるのであり、そして天の父母様に帰っていくのだと読めるのです。

 勝手な解釈であろうと思います。しかし、この歌詞によって多くの重要なことを感じることになりました。
 これも自己を捨てて無になる、死ななければ生きることはできない、ということを伝えていると読むことができるのです。