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スマホで立ち読み Vol.9
『地域づくりは国づくり』4

入山聖基・著

(光言社・『地域化講座~地域づくりは国づくり~天一国時代の伝道論』より)

 『地域づくりは国づくり』の一部を「立ち読み」でご覧いただけます! 毎週月曜日にお届けします。

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第一章 カインの祭物

カインの祭物

 アダムとエバ(父母)が摂理の中心に立てなかったがゆえに、代わりにカインとアベル(子女)を立てる摂理が始まりました。

 それは、「善悪の母体」となったアダムとエバの立場を二つに分けて一つにする、「善悪分立摂理」を行う必要が生じたためでした。

 アベルはアダムを身代わりし、カインは天使長ルーシェルを身代わりして、その関係の蕩減(とうげん)を清算するようになりました。それで、アベルとカインの二人は同じ父母から生まれた兄弟でありながら、それぞれ「善の表示体」と「悪の表示体」という「役割」を背負うことになったのです。

 「表示体」とは役割のことです。ですから、アベル=善人、カイン=悪人ということではありません。あくまで蕩減的に負わされた、「役割」であり、ポジションなのです。

 映画やドラマの世界にも悪役がいます。「悪役商会」という、悪役を演じる俳優さんたちのグループがあります。彼らは、見た瞬間に「悪人」と分かるほどの悪人の形相をしていますが、本人が本当に悪人かどうかは分かりません。実際は人のいいおじさんたちなのかもしれません。彼らはあくまでも、「役割」を演じているだけなのですから。

 「アベルの祭物」は神様に受け取られ、祝福されましたが、それはアベルの精誠条件とともに、その「役割」、すなわち蕩減復帰摂理上の立場ゆえだったのです。一方、「カインの祭物」は受け取られませんでした。それもまた、摂理的な「役割」のためだったのです。

 「アベルの祭物を受け取られた神様の立場と、カインの祭物を受け取られなかった神様の立場が、互いに異なるもののようですが、そうではなかったことを知らなければなりません」(天一国経典『天聖経』1046ページ)

 ここには、複雑な事情を抱えた、「神様のこころ」が現れています。

 神様は、アベルの供え物は受け取り、カインの供え物は受け取りませんでした。つまり二人に対する態度が違っていたわけです。普通に考えれば、態度は感情を表しますから、好き嫌いや、愛しているか愛していないかという、心の表れであるはずです。つまり、態度だけを見れば、神様は、アベルは好きで愛していて、カインは嫌いで愛していないということになります。しかし、み言(ことば)によれば、そうではないというのです。

 神様の態度は違っていても、心すなわち愛する想(おも)いは同じだったのです。神様はカインの供え物は受け取られなかったけれども、カインを愛していたのです。それは、復帰摂理を始められた最初の「神様のこころ」が分かれば理解できるでしょう。悪に近いからといって、その子供を捨てる神様ではありません。

 「カインに、天の立場を身代わりしていたアベルを通そうという思いが少しでもあったならば、神様はカインの祭物を取られたでしょう」(天一国経典『天聖経』1046ページ)

 (蕩減)条件のない復帰はない──というのが、復帰の原理です。したがって神様は、無条件に供え物を受け取ることはできません。しかし、ある条件さえ成立すれば、「カインの祭物」を受け取りたかった、祝福してあげたかった、つまり救いたかったのです。

 神様はアベルの祭物を受け取りながら、その目は、「カインの祭物」にも熱く注がれていたのではないかと思うのです。そして、いつの日か、「カインの祭物」を受け取れる日が来ることを待望されたに違いありません。

 カインの供え物を受け取ってあげたくても受け取れなかった神様のこころは、いかばかりだったでしょうか。

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 次回は、「すれ違った想い」をお届けします。お楽しみに!



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