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歴史と世界の中の日本人
12回 近藤 亨
不可能を可能にした日本人

(YFWP『NEW YOUTH』166号[2014年4月号]より)

 歴史の中で世界を舞台に輝きを放って生きた日本人が数多くいます。知られざる彼らの足跡を学ぶと、日本人の底力が見えてくる!
 「歴史と世界の中の日本人」を毎週火曜日配信(予定)でお届けします。

 不毛の地といわれる標高2750メートルのネパールの秘境ムスタンで稲作を成功させたのが、農学者で、特定非営利活動法人(NPO法人)ネパール・ムスタン地域開発協力会理事長を務めた近藤亨(とおる/19212016)である。

 2012年には、ネパール政府から最高栄誉の一等勲章に当たる「スプラバル・ジャナセワスリー一等勲章」を受章している。

▲近藤亨理事長

 ムスタンの貧しい人たちに「白い米を腹いっぱい食べさせてやりたい」という志のもと、周囲の反対を押し切り、全ての私財をなげうって、単身乗り込んだ近藤亨はその時70歳であった。

 台風並みの強風と過酷な寒さ、雨もほとんど降らない不毛の地。失敗が続いた。

 しかし近藤は諦めることなく挑戦し続け、4年目にして見事に志を果たした。

 不毛の地、ムスタンは農作物に恵まれるようになり、人々の生活も変わった。

 近藤亨の功績は稲作の成功だけではない。
 ヒマラヤの雪解け水を利用した植林、雪水を利用したニジマスやコイの養殖場、石垣で囲まれたビニールハウス、ヤギの飼育、たい肥やきゅう肥をヒノキやマツに与えることで作物が取れるようになった。

 その結果、ムスタンの市場は激変し、日本の八百屋で見かけるような野菜や果物のほとんどが市場で買えるようになった。

 何よりも村人の生活を潤したのはリンゴの栽培だった。
 「ムスタンのリンゴ」としてブランド化もされている。干しリンゴやジャムなどの加工品も近藤が教えた。

 近藤亨は語る。
 「ムスタンはネパールの中でも政府の施策からも見放された、恵まれない地区である。ムスタンは、まず、農業振興で食料自給を目指し、豊かな生活を送れるようになることが重要であり、同時に初等教育の振興が欠かせないことを現地で身をもって痛感した。アジアには独自の誇り高い文化や豊かな大自然がある。真の国際協力は深い人間愛であり、決して物資、金品の一方的供給ではない。支援を受ける人々が心から感謝し、自らが立ち上がる努力をはらう時、初めてその真価が現われるのである」

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 次回は、「世界に貢献する『日本人』」をお届けします。