2018.06.15 22:00
愛の知恵袋 17
殻を破れ、バカになれ
松本 雄司(家庭問題トータルカウンセラー)
両手のない英語教師
その日私は、講演のため名古屋から広島に向かう新幹線の車中にいました。新聞をめくっていて、ふと一つの記事が目にとまりました。「足でつかんだ教師の夢」というタイトルの記事でした。以下、日本経済新聞3月22日付から、要約をお伝えしましょう。
「2007年、公立校の教員採用試験の合格発表の日。『ついにやった…』とひときわ深い感慨をかみしめた一人の青年がいた。それは、日本で初めて両手のない中学校教師が誕生した瞬間だった。小島裕治さん(28歳)。彼がここに至るまでの道のりは簡単なものではなかった。4歳の時、横断歩道を渡る途中、ダンプカーにはねられて意識不明。気が付いて包帯をとると、自分の両腕がなかった。
その日から彼の生きる闘いが始まった。両親の励ましに支えられて、努力の末、食器を足で持って食べ、泳ぐこともできるようになった。しかし、小学生の頃は「手なし人間」とからかわれたり、遊具に一緒に乗れなくて親友から『遊んでもおもしろくない』と突き放されたりした。悲しかった。次第に自分を冷めた目で見るようになって、高校時代には友達を作ろうとも、学校を楽しもうとも考えなかった。ある日、入部していた国際協力クラブの顧問教諭から、『殻を破れ、バカになれ』と声をかけられた。そして、2年生のクリスマス。留学生を囲む会で、他の部員達がみな尻込みするのを見ていて、『ハッ』とその言葉がよぎり、意を決して留学生に歩み寄り、『Hi! How are you?』と片っ端から声をかけて回った。「笑いたいやつは笑え。どうとでもなれ」という気持ちだった。その瞬間、彼の中で未来の扉が音を立てて開き始めた。
大学時代はニュージーランドに留学。ある日、訪問した小学校で、右足でペンを持って名前を書いた。一瞬シーンとしたが、次の瞬間、『信じられない!』という子供達の大歓声が起こった。この時の経験から、彼は『教師になりたい』という夢を持つようになった。そして、教師になるための闘いが始まった。今まで『前例がない』という理由で、普通学校への入学は渋られ、アルバイトも断られたが、やはり就職も同じだった。公立校の教員採用試験には二度挑戦したが不合格とされ、私立校も軒並み不合格だった。それでも彼は夢を捨てなかった。そして、三度目の挑戦で、ついに合格を勝ち取ったのである。
彼は今、愛知県西尾市で中学校の英語教師として教壇に立っている。黒板の前で高いイスに乗って、右足を顔の高さまで上げて、足の親指と人差し指の間にチョークを挟んで、文字を書いている。
だからこそ彼は、世の中で両手を使った陰惨な事件が起きるたび、『どうして?』と感じる。母校の高校で教育実習をしたとき、最後の授業で、みんなにこう言った。「両手を開いてごらん」そして、こみ上げる思いを抑えながら訴えた。『みんなには両手がある。人を傷つけたり、不幸にしたりするためではなく、夢を叶えるために使ってほしい』」
私のこの両手で何ができるの?
私は記事を読みながら胸が熱くなりました。一つには、彼のこの最後の言葉の重みが心にズシーンと響いたからです。両手のそろっている者には、それが当たり前であって、感謝すら忘れている。しかし、その当たり前のことがいかに素晴らしいことであるのかを、彼は教えてくれていたのだ。すぐに浮かんだ言葉がありました。私の好きな歌、”ジュピター”の中の一節、「私のこの両手で、何ができるの…」という詞でした。私のこの両手で、人を助けることもできるし、傷つけることもできる。愛の抱擁に使うこともできれば、怒りの鉄拳にすることもできる。しかし、もし、私の両手が人を殺してしまうなら、間違いなく、そう、間違いなく、私の両手はなかったほうがよかったのです。
私達は、じっと自分の心に問いかけてみたい。「私のこの両手で、何ができるの?」と。
そうだ。心に愛さえあれば、あの人も、この人も、その人も、もっともっと助けてあげることができるかもしれない。
コンプレックスを破った瞬間
もう一つ、私が共感した点がありました。それは、彼がコンプレックスの壁を打ち破った瞬間のことです。実は、私も小学生時代から高校生時代まで、人に言えないコンプレックスがありました。やせていて、運動神経も鈍くて体育が苦手だったのです。だから小学校の時も、運動会が一番嫌でした。徒競走をしても、ビリにならないように必死に走るだけ。中学生になって、柔道をやっても体が軽いので投げられてしまう。強くなりたいと思って剣道部に入ったが、あれこれしごかれてやっと出してくれた最初の試合で「パーン」と面を取られてやられてしまい、「くそーっ」と思って退部。以後ブラスバンドに専念。高校は勉強の厳しい進学高校でしたが、体育の時間はちゃんとあって、やはり、同じ悩みがついてきた。しかし、2年生の中頃、「みんなからどう見られているのか、笑われるんじゃないか…」といった思いが自分自身を萎縮させてしまい、”スポーツを楽しむ”という世界から隔絶されている自分に気が付いたのです。「人は自分が思うほど、気にしていないんじゃないか…」と思い、ある日、「えーい、うまい下手なんかどうでもいい。思う存分自分なりにやってみよう」と思って、サッカー、幅跳び、三段跳び、…… 何でも思いっきり、自分をさらけ出してやってみた。無様な姿をさらした時は、みんなと一緒に笑った。
その日、あの瞬間、私の中で、何かがはじけたのです。今まで自分を呪縛していたものから、パーッと解放されたのです。そして、思い切ってやってみると、思っていたよりはできるじゃないか…という気がしたことと、何よりも楽しいのです。以後、あれほど嫌いだった体育の時間が全く苦にならなくなってしまったのには、私自身が驚いたのです。