2018.06.01 22:00
愛の知恵袋 15
ゴジラの大やけど
松本 雄司(家庭問題トータルカウンセラー)
ある夫婦の衝突
その婦人は開口一番、「全くおもしろくありません!」と口をとがらせました。「うちの夫はいつも不機嫌で本当に短気なんです。私が何か言うと、ムッとした顔をして行ってしまうし、口を閉ざして黙っているので一言文句を言ったら、突然、血相を変えて怒りだすんですよ。私も言いたいことは言わなければ気が済まないほうなので言い返すと、もっと大声で怒鳴りつけられるので傷つきます。あんなに怒鳴ることないのに、ひどいでしょう? あの人はあんな短気な人ではないと思っていたのに、猫をかぶっていたんでしょうかね? とにかく、毎日がギクシャクしていて憂鬱です」。
ならば、ご主人は相当無口で短気な人かと思ってお会いしてみると、そうでもありませんでした。「いやあ、私の方がもっと憂鬱ですよ。毎日仕事で追いまくられて、身も心も疲れて家に帰って来るのに、安らぎがありません。妻は口うるさくて、一言一言がきついんですよ。癒しどころか、傷の上をまた切られるような目に遭うんです。我慢しようと思っても、同じことが続くのでつい爆発してしまいます。私からすると、彼女が口を開くたびに傷つくんですが、それを何度言っても分かってくれないんです。彼女は悪気があって言っているわけではないので、気が付かないんでしょう。そこが悲劇です」。
やまびこの法則
似たような経験をしている方は多いかもしれません。結局、このご夫婦の場合、表面上は時々爆発して怒る夫の短気さが問題のように見えたのですが、よく聞いてみると、妻の何気なく発する一言一言がぶっきらぼうで追及調であるため、夫の心を傷つけてしまい、ついには爆発を引き起こしてしまうというのが真相のようでした。
このような夫婦間のやりとりは”山びこの法則”と呼ばれています。自分が発した言葉の善し悪しで、相手から返ってくる反応が決まるという法則です。
私はこの現象を”ゴジラの大やけど”と呼ぶことにしました。
つまり、ゴジラが自分で吐いた放射能によって、相手を怪獣にしてしまい、その怪獣の吐く火炎で自分が大やけどをするという構図です。前記のご夫婦の場合は、妻がゴジラで、夫に対して火を吐いているうちに、その夫が怪獣になって自分に火を吐き返してきたわけです。
もちろんこの逆もあって、夫のほうがゴジラで、思いやりのない乱暴な言い方のため、ついに妻の怒りを招いてしまうという場合もあります。
言葉という火炎の放射戦争が始まって、それを放置すると双方とも怪獣になってしまって収拾がつかなくなります。
ゴジラの吐く火炎の破壊力は甚大です。ビルも戦車も焼き尽くしてしまいます。しかし、我々の口から吐き出される言葉の影響力も実は想像以上です。たった一言で、相手の心をズタズタにする破壊力があります。聖書の中に「舌は火なり」という言葉がありますが、まさに、舌は言葉であり、言葉は火なのです。
言葉でつくられる人間関係
人間関係の90%は、言葉のやりとりによってつくられていくと言ってもいいでしょう。正しい言葉のやりとりからは、良い人間関係が生まれ、乱暴な言葉のやりとりからは、すさんだ人間関係がつくられていきます。ていねいな言葉遣いはその人物の品格を高めていき、粗暴な言葉遣いは品格を落としていきます。
謙遜な言葉は相手をも謙遜にさせ、傲慢な言葉は相手のひんしゅくを買います。優しい言葉は人の心を穏やかにさせ、乱暴な言葉は人の心を波立たせます。同情心から出た言葉は人を癒し、冷たい言葉は人の心の傷をさらに大きくしてしまいます。
愛情から出た言葉は人に喜びと希望を与え、憎しみから出た言葉は人に痛みと失望を与えます。
もっと日常の中での具体的な例を挙げれば、
「無愛想な言い方」「皮肉っぽい言い方」は相手の気分を害します。
「追及するような言い方」「非難する言い方」は相手の反発を買います。
「つっかかる言い方」「つっけんどんな言い方」は喧嘩を売っているのと同じです。
「べらんめえ調」「がらっぱち」という話し方をする夫婦には喧嘩が絶えません。
良い社会は、良い言葉から
戦後の経済発展によって、私達は電化製品に囲まれた快適な生活を手に入れることができました。しかし、その反面、精神的・倫理的世界での深刻な後退が見られ、礼節が失われ、温かい人間同士の絆を失ってきたように感じます。
その兆候は、社会の基本単位である「家庭」の中においても顕著に表れ、家族同士の絆が失われつつあるのです。この事態をもたらした大きな原因の一つは「言葉の粗暴化」にあるのではないかと思います。
良い社会は良い家庭から、良い家庭は良い言葉からつくられます。私達は、まず家庭の中から、家族同士の間で言葉を改めていきましょう。朝の「おはよう」から、夜の「お休みなさい」まで、きれいな言葉、明るい言葉、優しい言葉を掛け合っていこうではありませんか。