2022.05.17 22:00
神様はいつも見ている 30
~小説・K氏の心霊体験記~
徳永 誠
小説・K氏の心霊体験記「神様はいつも見ている」をお届けします(毎週火曜日22時配信予定)。
世界平和統一家庭連合の教会員、K氏の心霊体験を小説化したものです。一部事実に基づいていますが、フィクションとしてお楽しみください。同小説は、主人公K氏の一人称で描かれています。
第5部 文鮮明師との出会い
1. 韓国での最初の試練
私は神様の導き、すなわち霊人たちの働きもあって、統一教会(現・家庭連合)に入会し、本格的に統一原理の教えを学ぶようになった。
統一教会の信仰を持つようになってしばらくたった後、私は統一原理の教えを説いた文鮮明(ムン・ソンミョン)師とお会いする機会を得た。
1970年代から1980年代前半、長らく米国を中心に活動をしていた文師であったが、1980年代中盤以降は、韓国を中心に活動することが多くなる。
当時の私は、宗教や教祖という存在に対して、ある種のイメージを持っていた。
神道の神様に育てられてきた影響は大きかった。
神道は清浄を旨とする宗教であったので、清潔さや清新さ、駘蕩(たいとう)とする穏やかさといった印象が強かった。
実際、私の接した神道の指導者たちには、普通の人にはない奥ゆかしさ、穏やかさ、強い指導力を感じさせる人が少なくなかった。
おのずと文師に対してもそのようなイメージをダブらせていた。
訪韓に当たって心配なことが一つあった。それは食事に関することだった。
私は辛いものや臭いのきついものが苦手だった。肉も苦手で、ほとんど口にしなかった。
ところが、韓国料理と言えば、辛いもの、肉料理のイメージである。
訪韓の日。
飛行機の隣の席に座った男性は、面識はなかったが、同じ統一教会員で私と同じように文師にお会いすることが訪韓の目的だった。
何度も訪韓しているというので、私は彼に質問した。
「韓国の料理というのは、やはり辛いものや肉料理が多いんでしょうね?」
「韓国は初めてですか?」
「はい…」
「韓国料理は実においしいですよ。私なんか、韓国に行くたびに、キムチや焼き肉、ビビンパプにいろんな種類のチゲを、夢中になって食べています。あの辛さがたまらないですよね」
私は彼の韓国料理礼賛の前に言葉を無くした。
その後も、隣の男性教会員は韓国料理のあれこれを楽しそうにしゃべり続けた。
私はすっかり気力を失ってしまい、「最悪、卵かみそ汁をご飯にかけて食べるしかないな」と機上から真っ青な空を見つめてつぶやいた。
天候にも恵まれ、飛行機は割合穏やかに滑り込むようにソウルの金浦国際空港に着陸した。
私は電光表示板の指示に従ってシートベルトを外し、機内から出た。
空港施設内に立ち入ると、瞬間的に生暖かい空気が頬を打ち、試練とも言うべき独特の強烈な臭いが私を覆った。
好きな人にとってはそれだけで食欲をそそられるかもしれないが、あいにく私はキムチの臭いと唐辛子の辛さが苦手だったので、日本では決して口にすることはなかった。
「まず腹ごしらえといきましょう。腹が減っては戦ができぬといいますからね」
男性教会員は「これこそ韓国のグルメ!という店があるんですよ」と私を食堂に誘い込み、何やら私の分も勝手に注文している。
「日本では、夏バテ対策としてウナギを食べますよね、韓国ではそれに当たるのが、参鶏湯なんですよ」
「サムゲタン、ですか?」
私は首をひねった。聞いたことがない料理の名前だった。ならば食べられるものかもしれない。
「辛くはないんですか?」
「辛くないですよ。辛いのが苦手な日本人でも大丈夫ですよ」
それで私も少しは期待したのだが、目の前に現れた料理は、ぐつぐつと白いスープが煮えたぎった鍋に、何か大きな肉の塊らしきものが浮かんでいるではないか。
「これは何ですか?」
「鶏の肉に高麗人参やナツメの実、もち米などを詰めて煮たスープ料理です。味は付いていないから、自分の好みで塩やコショウを付けて食べるんですよ」
男性教会員は、こなれた手つきでスプーンに塩を適当に入れると、うまそうにスープをすすった。
「うまい! 日本にも韓国料理屋はあるけれど、やはり本場にはかなわないなあ」
満足そうにスープを飲み、そして金属製の箸を使って肉をほぐし、口に運んだ。
それを見ながら私は固まった。
私は肉の中でも、鶏肉が一番苦手だったのだ。当然、食べられるはずもない。
今となっては、そこでいったい何を食べたのか、あるいは何も食べなかったのか、全ては記憶のかなたである。
食べ物の試練は耐え難い。
これが最初に受けた韓国文化の洗礼であった。
翌日、最悪とも言える状態の中で、私は文師とお会いすることになるのである。
(続く)
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次回は、「このおかたはやくざの親分?」をお届けします。