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信仰と「哲学」99
希望の哲学(13)
哲学者の原型~不知の自覚

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 哲学者(学者のみならず、哲学する者一般を指す)の原型であるソクラテス(紀元前469年頃399年)の生き方から、人間が神とつながって光り輝くための普遍的な「道」について考えてみたいと思います。

▲ソクラテス(イメージ)

 ソクラテスはあまりにも有名です。
 長い哲学の歴史において、その輝きは今もなお、色あせることはありません。
 常に哲学の原型、哲学者の原型であり続けています。後代の哲学者がそのように押し上げているのです。

 ソクラテスがそのようにあり続ける核心、キーワードは、これもまたあまりにも有名な「無知の知」という言葉です。
 最近は「不知の自覚」と訳されることが多くなったようです。

 良い生き方とは何か、何に価値があるのか分かっていないと気付くことをいいます。
 この気付きこそが哲学の出発点であり、そこから探求を進めるべきであると考えていたのです。

 ソクラテスの言行に迫ろうとするとき、必須となる資料としての文献は、弟子のプラトンによる『ソクラテスの弁明』です。
 紀元前399年、ソクラテスはアテネの法廷で訴えられ、裁判によって処刑されましたが、そのことについて記したものです。

 その中で、「不知」と「無知」という言葉が使い分けられています。
 「不知」は「価値あること」(正義、美、善、幸福など)を知らないという事実を表す中立的な意味を持つのに対して、「無知」の方は、本当は知らないのに知っていると思い込んでいる、恥ずべき状態のことを指しています。

 ソクラテスはもちろん、無知ではなく不知であって、そのことを自覚していたのです。それ故に、「無知の知」ではなく、「不知の自覚」というべきだというのです。

 法廷での裁きによって死刑を宣告され、毒を飲んでその生涯を閉じることとなりますが、死罪となった理由は「青年を惑わし堕落させ、神を信じなかった」からというものでした。社会秩序紊乱(びんらん)罪です。

 しかしソクラテスが行ったことは、哲学(知恵を愛すること)の対話でした。
 なぜ哲学は大切なのか、アテナイ(アテネの古名)の人々に訴えかけた様子がまた、『ソクラテスの弁明』に記されています。

 ソクラテスを哲学の対話に駆り立てた動機になった出来事がありました。
 ソクラテスの仲間であり、熱烈なソクラテスの崇拝者でもあるカイレフォンが、予言の神アポロンのいるデルフォイのアポロン神殿に赴き、「ソクラテスより知恵のある者がいるか」と尋ねたというのです。
 すると、神殿に仕える巫女(みこ)は「彼より知恵のある者は誰もいない」と答えたのです。

 この神託を聞いたソクラテスは困惑しました。なぜなら、自分自身、事の大小を問わず、およそ自分が優れた知者であるとは思えなかったからです。

 神は何を言おうとされているのか、何の謎をかけておられるのかと、ソクラテスは思案しました。

 「神託が偽りであるはずはない。それでは神が、私のことを最も知恵あると語られた意味は何か」

 ソクラテスはそのことを確かめるために、「知者と思われる人々」の所へ出かけていって、ある意味では神に反駁(はんばく)しようとして、まずは政治家、次に劇作家、最後に職人と、「価値あること」について対話したのです。

 対話に「巻き込まれた」人々は自尊心を傷つけられ、時にはソクラテスを憎み、危険人物と見なすようになったのです。

 ソクラテスは「不知の自覚」者でした。しかしそれは彼の弱さにはつながりませんでした。

 不知を自覚していないこと、それ故に真に価値あることを求めようとしていない人間の生活を、対話を通じて転換させて共にあるべき姿に向かって歩もうと働きかけたのです。
 その「哲学」の道に対する確信は、死罪を言い渡されても揺らぐことのないほど強いものでした。

 ソクラテスに見る「不知の自覚」は、神の前に絶対的対象の立場に立つ姿の一つであると私は考えます。
 それは無限の神の力につながる姿勢であり、それ故にソクラテスは哲学の祖、哲学の原型であり続けているのだと思います。

 昨今のSNS上での独断的な言説が跋扈(ばっこ)する「世界」の広がりに、ソクラテスの死を賭した訴えが天上から響いてくるように感じられます。