私の心の中にいる神様 118
親なのだから

 良心との対話で、ワクワク感が止まらない!
 毎週土曜日に配信予定です。

親なのだから

(男性 20代)

 公職者(家庭連合関連の職員)を目指してトレーニングを受ける中で、「自己牧会プログラム」に出合いました。
 同プログラムを学んで、大きく意識が刷新されました。中でも、「良心からのメッセージの聞き方」を明確に教えられたことが、一番大きかったと思います。

 信仰二世として生まれ、これまでの人生の中でも、良心、つまり神様の声を聞いてはいました。しかし思い返せば、それが神様の声だとは気付いていなかったのです。

 私はそれまで祈りの中で、「こうやります」「こうします」とは祈ってきましたが、「こうなのですが、どうしたらいいですか」などと、神様に尋ねたことがありませんでした。
 自分で決めて、それを神様に宣布してやるというスタイルで祈ってきたのです。

 ところが自己牧会プログラムでは、「神様に率直に尋ねてみたらいい」とアドバイスしているので、驚きました。

 それまで私は、葛藤する内容を祈るのは、神様に対して不平不満を言うことになると思っていました。
 私の知っている神様は、苦しんできた神様であり、悲しんできた神様だったので、さらに自分が苦しみや悲しみをぶつけるのは、申し訳ないことだと思っていたのです。

 ですからそれまでは、葛藤があっても、原理的に頭で整理し、心の奥底に閉じ込めておく癖がありました。それで解決したつもりになっていたのです。
 でも傷ついた事実は全て残っていて、蓄積されていたのです。

 そんな私が初めて「尋ねながら祈る」ことに挑戦したときの第一声は、こんなシンプルなものでした。
 「神様、私を愛していますか?」
 しばらく待ってみると、心の奥底で「愛しているんだ」という、声ならぬ声、思いのようなものが湧いてきました。

 さらに、「やっと気付いたね」という思いが来たのです。
 この「やっと気付いたね」という思いは、自分目線の表現ではないと思うのです。第三者目線というか、まさに神様の視点から言われたような感じがして、涙があふれました。

 さらに神様に、「私が不平不満を言っても、あなたは傷つかないのですか。言っても大丈夫なんですか」と尋ねてみました。
 すると、明確な回答というわけではないのですが、何か許されたような感覚がしました。
 そして、「いいんだよ。親なのだから」という思いが来たのです。

 「親だから、君のことを知りたいし、報告を待っているんだ。それがたとえ苦しい内容だったとしても、不平不満になりうる内容だったとしても、私は親だから聞きたいんだ」
 そのように言われた感覚がしました。
 感動しました。

 これを通して非常に心情が整理されました。以来、何か葛藤することが出てくると、その都度神様に報告するようにしています。そうすると、一日の復興感が全く違うことを感じるのです。

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 次回は、「世界平和の鍵は心の中に」をお届けします。


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