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至誠感天 家和万事成 62
父母を通じて分かる神様の心

 今日も「一日の出発のみ言」をお届けします。

(光言社・刊『至誠感天 家和万事成』より)

第二章 家和万事成

第二節 父母の心

(二)神様の心①

 父母は、大切にかわいがってきたその息子、娘を通して福を受けたいと思い、幸福を感じたいと思います。また、喜び、福を受けることができる基準があれば、その息子、娘に永遠に残してあげたいと思うのです。堕落した人間も、そのような希望の心をもって息子、娘を思います。夜も昼も、息子、娘が美しく育ち、万国から尊敬され、万世にわたって称賛されるその息子、娘が、傷つかないかと保護し、切ない心情で心配するのが父母の心です。堕落した父母の心も、そうだというのです。

 胸の中でお乳を飲ませて育てる母親の切なる心、子女がうんちをし、おしっこをして臭(にお)いがしても、愛でその環境を忘れられるのが父母の心です。堕落した父母が子女を思う心もそうだとすれば、ましてや愛の主体であられる神様が、本然の心情を通じてアダムとエバを愛したかったその心は、どれほど切なるものだったでしょうか。一度考えてみてください。

 皆さんが赤ん坊を抱いて育てるときに、寝床でも歌を歌ってあげ、独り言で話もしてあげ、すくすくと育つことを願うその心は、父母なら誰もがもっているでしょう。いくら愚かで不足な子女でも、その子女に足らないところがあれば、父母の心は、胸いっぱいに最高の苦痛を経るのであり、それが解決すれば、その苦痛に反比例して喜びが同伴するのです。堕落した父母の心もそうならば、神様の心はどうでしょうか。(202091968.6.9

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 明日は、「神様の心②」をお届けします。