2022.03.29 22:00
神様はいつも見ている 23
~小説・K氏の心霊体験記~
徳永 誠
小説・K氏の心霊体験記「神様はいつも見ている」をお届けします(毎週火曜日22時配信予定)。
世界平和統一家庭連合の教会員、K氏の心霊体験を小説化したものです。一部事実に基づいていますが、フィクションとしてお楽しみください。同小説は、主人公K氏の一人称で描かれています。
第3部 霊界から導かれて
4. 変更された人生の設計図
私たち夫婦が統一教会(現・家庭連合)の教えを受け入れるようになってからも、父と兄夫婦は神道を信仰していた。
とはいえ、須佐之男大神(すさのおのおおがみ)が現れて自分が統一教会へ姉を行かせたと断言し、熱心な神道の信仰者だった末っ子の私が統一教会の会員になってしまったことで、一家は揺れ動いていた。
神道からキリスト教への宗旨替えは、おいそれと承諾できる話ではなかった。
たとえ須佐之男大神の言葉であったとしても、すぐに神道の信仰から統一教会へと信仰を切り替えることはできない。神道の神様の縁によって栄えていた家業であったし、何より家の教会には多くの信者が集ってきていたのだ。
神道の信仰と統一教会の信仰の違いも大きかった。
母は中立の立場を表明していたが、心情的には、どちらかといえば私たち寄りだった。
父と兄夫婦が統一教会を受け入れ難かったのは、マスコミによる批判報道の影響を受けた社会の風当たりが強く、統一教会への不信感や疑念が拭い切れなかったからでもあった。
父や兄夫婦と私は、付かず離れずの関係が続いていた。
私の人生設計は、就職して数年は家業の土木事業を助けるためにさまざまなことを経験し、必要な資格を取得して実家が経営する会社に入ることになっていた。
父や兄が反対する理由の根底には、私が家族や親族の援助を受けて大学まで行かせてもらった立場なのに、その恩義を裏切るのかという思いがあった。
私が統一教会に入ることによって、実家の事業計画が狂ってしまったことを父と兄夫婦は怒ったのである。
統一教会の教えを知れば知るほど、私はもっと深く知りたいと思うようになっていった。私は真理を求める心の渇きを抑えることができなかった。
私は会社を辞めることを決断した。予定した人生の設計図を変更したのである。
統一原理をもっと学びたい。真理を知りたい。そして統一教会の教義を教える講師になりたいとまで思っていた。
そのために集中的に学ぶ時間が欲しいと妻に頼んだ。
「1年間、『統一原理』の勉強をしたい。勉強して原理講義をできるようになりたいんだ。神様が私を必要としてくださるのなら、私を用いてくださるだろう。もし神様が私を必要としていないということだったら、そのときはもう一度、勤めながら信仰するようにするよ」
一大決心だった。
教会の仕事をするようになっても、その先の経済的保証が確かなわけではない。だからそれを当てにせず、何があっても恨まないようにしようと心に決めた。
「野垂れ死にするようなことがあっても、恨まないで生きていこう」
私と妻はそのような思いで統一教会の信仰を出発したのである。
1年間の勉強を通じて統一教会の教義に確信を深め、私は教会の活動を献身的に行うことになった。
教会の活動は無償のボランティアも同然であった。
〈このままでは到底生活できない〉
しかし再び会社勤めをしようとは思わなかった。何か商売をしながら経済的な課題を解決しようと考えた。
会社に勤めてしまえば、教会の活動をする時間がなくなってしまうからだ。
私は考えた。
活動の時間が十分取れて、生活ができるだけの収入をそれほど時間をかけずに得る方法がないものか。
「ほなら、私がパートでもしようか?」
と妻は言ったが、私は首を横に振った。
「それは駄目や。あんたは子育てもあるし、教会の仕事もある」
「ならどうすんの?」
「どうしようか…」
私は考え込んだ。
その時、思い浮かんだのは、人間の命の基本は食べることだということだった。
日本人は毎日米を食べる。よほどのことがない限り米の需要がなくなることはないはずだ。
「米を売ってみようか」
「あんた、お米なんて売ったことあるん?」
「全くない…」
妻は根拠のない私の自信にあきれ果てていたが、私には勝算があった。
翌日、私は実家の母親を訪ねた。
「なんや、テツオ、どうしたん? 神様にお尋ねしたいことでもあるの?」
「いいや、違うよ。お母さんには信者さんがたくさんおるやろ。その中には米屋の人もいるよね?」
「おるで」
「その人を紹介してほしいねん」
「なんでやねん」
事情を説明すると、母は納得し、紹介してくれることになった。
「紹介するのはいいけど、売る当てはあるんやな?」
私はうなずいた。
私は統一教会の信者のことを考えていた。
関西でも統一教会はかなりの教勢を伸ばしていて、中高年はもちろん、若者を集めた教会が各地域に数多くあった。
特に、青年層や大学生の多い教会は、若いだけあって、ご飯をたくさん食べるはずだ。
米の注文と配達を請け負えば、その手数料でなんとか生活できるだけの収入が得られるだろうと考えたのだ。
実際に始めてみると、このアイデアは当たりだった。ただし、米屋から米を受け取り、自家用車を使ってそれぞれの場所に配送するのはかなり骨の折れる作業ではあった。
生活の当てができると、私は教会活動に専念した。と同時に、母の教会にも顔を出すようにした。
統一教会で献身的に活動することで、実家と疎遠になってしまった姉と同じ轍(てつ)を踏むことのないようにしたかったのだ。
(続く)
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次回は、「霊界の祖母からの訴え」をお届けします。