孝情を育む 32
子女の信仰教育の基礎

家庭教育部長 蝶野知徳

 『ムーンワールド』で連載中の蝶野知徳・家庭教育部長による子育てについてのエッセーを、Blessed Lifeでもお届けします!
 孝情を育む子女教育を考える上で、どんな思いで向き合えばいいのかを端的に分かりやすく解説します。

「信仰は喜びだ」を生活の中で伝える
 子女の信仰教育の基礎となるものは、父母自身の家庭における生活信仰です。夫婦が一つになって信仰の喜びを味わい、その中で子女を育む生活ができれば、それが最高の信仰教育の基礎となるでしょう。信仰というものを別個に教えようとするのではなく、信仰を通した愛の生活、喜びの生活を実体で伝えられるのが良いと思います。

 儀式や礼節の中でも、神様を愛する喜びを感じている父母の姿を見ながら、子女は心の中にある“自分も神様を愛したい”という本性が刺激を受けるようになります。そして、その父母から愛されれば、子女はそこに神様の愛が含まれていると感じるようになります。

 大切なことは、「神様と愛を授け受けするには、信仰というものが必要なのだ」ということが、生活の中で自然に伝わっていくことです。信仰を「教える」というよりも、父母が実体を見せながら、その中で子女を育んで、体験させていくということです。「信仰は喜びだ」ということが伝えられれば、信仰の自立は促されていくでしょう。

 人間の本性に損害を与えるような原理は、ありません。当然、信仰は本然の人間に還っていくためのものですから、本性の喜びを追求しながら生活するものです。親の喜びになっていないものを、子供に喜びのものだと伝えるのはとても難しいことです。

 年齢を重ねて青年になれば、頭で物事を図ったり、損得勘定も働いたりしますが、特に幼少期の場合は、知恵や思考、自分の解釈を入れないで、心で感じたものがそのまま体験となる時期です。ですから、父母は信仰教育の形ばかりにとらわれないで、自分の心がどのように子女に伝わるかを考えながら、父母自身の内面をよく主管することが大切になります。

夫婦で普段の信仰と生活を見直そう
 放蕩生活にあったアウグスティヌスも、幼少期には、神様に捧げられた母の愛の精誠を、子女の立場でずっと見てきました。当時の彼はそれを受け入れていませんでしたが、放蕩の末、改心し、信仰の道に還ってきたところを見ると、幼き日を共に過ごしてきた、神様を愛する喜びの中にある母の姿が、彼の信仰の原体験になっていたと見ることができます。

 幼児期の信仰教育の基礎は、夫婦の家庭での生活信仰によってつくられることを理解し、夫婦で普段の信仰と生活を見直すことから始めましょう。そのように夫婦がよく話し合い、手をつないで祈るなど、一つになって取り組むことが大切です。

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 次回は、「感性と信仰を育む」をお届けします。