信仰と「哲学」93
希望の哲学(7)
自分を信じるということ

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 前回まで「人間・森羅万象に神が宿る」ということについて述べてきました。
 それが私たちの足場です。不動の足場です。足場が固まらずに希望に向かうことはできません。

 『原理講論』には、以下のように記されています。

 「創造目的を完成した世界においては、神の本性相と本形状の実体となっているすべての個性体は、みな、このように球形運動を起こし、神が運行できる根本的な基台を造成するようになっている。このようにして、神は一切の被造物の中に遍在されるようになるのである」(62ページ)

 一切の被造物の中に遍在される、すなわち「宿る神」なのですが、人間においては、堕落により内にあるその神と響き合うことができない、神を感じることができない状態に陥ってしまっています。このことが全ての究極的問題なのです。

 既述のように、「神が存在することを実感でとらえ、罪を犯せば人間は否応なしに地獄に引かれていかなければならないという天法を十分に知るなら、そういうところで、だれがあえて罪を犯すことができようか。罪のない世界がすなわち天国であるというならば、堕落した人間が長い歴史の期間をかけて探し求めてきたそのような世界こそ、この天国でなければならない」(『原理講論』34ページ)のです。

 神を感じるのは私の心です。神が宿るところは私の心であり、そして体です。自分を信じるということは、私の心・神を信じることに無意識のうちにつながっているのです。

 「産経」(20211124日付)に「奇跡を起こす『自分を信じる力』」というコラムが掲載されました。水泳の池江璃花子選手のお母さん・池江美由紀さんが書かれたものです。池江さんは今、幼児教室を経営されています。

 コラムは「自分を信じる力は、ときに奇跡を起こします」との文章から始まっています。
 池江璃花子さんは20192月、白血病の診断を受けて入院。12月に退院してから11カ月後、日本選手権に出場し、最初の種目である100メートルバタフライで優勝しました。

 池江美由紀さんは次のように書いています。

 「そしてたくさんの方が璃花子の勝因を解説してくださいました。しかしそれはどれも間違いではありませんが、正解でもないと思います。
 璃花子は本番に強い。しかも舞台が大きければ大きいほどとてつもない力を発揮します。璃花子がその大舞台で奇跡の泳ぎができたのは、私は『自分を信じる力』だと思っています」

 私たちはどれほど「自分を信じている」のでしょうか。
 もう一度自分自身に尋ねてみようではありませんか。