2022.01.14 22:00
愛の知恵袋 158
人生は邂逅である
松本 雄司(家庭問題トータルカウンセラー)
新年あけましておめでとうございます。今年こそ、新型コロナが一日も早く終息し、希望の一歩を踏み出せる良き年になることを心から念願しています。
さて、お正月のこの期間、ひととき荷を下ろして、今までの歩みを振り返って反省し、また心機一転して、新たな目標をもってこれからの1年を歩み始めましょう。
亀井勝一郎との出会い
あなたは今までの人生の中で、どんな“出会い”を経験してこられましたか?
その方々とのおつきあい、あるいは抱いた“志”を、今も継続しておられますか。
「邂逅(かいこう)」とは、「めぐりあうこと」です。
“思いがけない出会い”であり、“たまさかのめぐり逢い”でもありますが、私はさらに“運命的な出会い”という意味もあると思っています。
「人生は邂逅である」と言ったのは、文芸評論家の亀井勝一郎です。私がこの言葉に初めて出会ったのは19歳の時でした。
自分はいかに生きるべきか。何を職業とし、何を生涯の目標にしていくべきなのか。人間とは何なのか? 死とは何なのか? 社会の諸問題をどうすれば解決できるのか?
人間は悲惨な戦争の歴史をなぜ繰り返すのか? …そのような根本的な疑問への解答をもとめて真理を探究した時期の初期の頃、亀井勝一郎に出会い、その著書をほとんど読みました。
結局、私の求めていた解答はそこからは得られませんでしたが、私の心に印象深く残った一つの言葉がありました。それが「人生は邂逅である」という彼の言葉でした。
以後、今日に至るまで、私はこの言葉を座右の銘の一つにしてきました。
数多くの出会いによって“今の私”がある
私達が今日、健康に恵まれ、職責を果たし、家族や友人と暮らしていけるのは、全て自分でやって来たつもりでいるかもしれませんが、果たしてそうでしょうか。
私達はもう忘れているかもしれませんが、まず、父と母の出会いがあり、結婚して私の命が誕生し、以来、無償の愛で私を守り、一から全てを教え、食べさせ、着させ、住まわせ、教育を受けさせて成人するまで育ててくれたのです。
今日に至るまで、一体どれだけの人々のお世話になって来たのでしょうか。
私もある時、自分の人生をじっくりと振り返ってみたことがありました。
自分を生んで育ててくれた父と母、祖父母や叔父、叔母。小学校、中学校、高校、大学まで、学校や部活や塾で熱心に教えて下さった先生方。社会に出てからは熱心に訓練し指導して下さった上司や先輩。その間に出会った多くの友人たち…。
さらに、私の生涯に影響を与えた人生の師と言うべき方との出会い。諸活動を共にした仲間たち…。カウンセリングで知り合った数多くの方々との出会い…。
そして、わが妻との出会い、授かった息子や娘との出会い、孫たちとの出会い…。
じっと目を閉じて、それらの人々の顔や声を思い出してみた時、愕然としました。
「何と多くの人に出会い、恩恵を受けてきたのだろうか!」と。
辛い思い出もあったが、それも過去。今は有難いと思うことのほうがはるかに多い。
その一人ひとりにどれだけ感謝を伝え、恩返しをすることができるだろうか…。
到底、全ての方々に感謝を伝えることも、恩返しを果たすこともできません。
ならば、残った日々を、受けた恩にさらに自分の情を加えて、これから接する全ての人達に対して誠意を尽くしていかなければ…という気持ちがわいてきました。
人生は“出会い”によって決まる
自分の人生を左右するような「特別な出会い」があれば、キリスト教的には「神様の導き」、神道的には「神々と祖霊の導き」、仏教的には「仏縁、あるいは前世の因縁で」ということになりますが、その意義は別にして、「出会い」ということの重要さ、不思議さ、有難さについて考えてみたいのです。
空海は、恵果和尚との出会いにより密教を究め、真言宗の開祖となりました。
秀吉は、信長公との出会いにより、百姓の出ながら天下統一の大業を成し遂げました。
宮本武蔵は、沢庵禅師との出会いによって、武芸者から剣聖にまで至りました。
龍馬は、勝海舟との出会いによって開眼し、日本の維新回天の志を抱きました。
マザーテレサは、イエスとの出会いによって、世界の貧者の魂の友となりました。
中村裕は、グットマン博士との出会いによって、障がい者社会復帰の父となりました。
あなたは、自分の人生を大きく変えた人物や事件との出会いがありましたか?
私達の人生は、いつ、どんな人物や思想に出会い、どんな目標をもって生きるか…それによって大きく変わってきます。
人生は邂逅である…。少しでも若いうちに、良き師、良き教えに出会い、抱いた志を生涯貫いて人生を歩み切ることができれば、これに勝る幸せはありません。
次回の配信は2022年2月11日(予定)です。