2022.01.09 22:00
統一原理Q&A 19
イエスに対する第一試練とは
アプリで読む光言社書籍シリーズ、「統一原理Q&A」を毎週日曜日配信(予定)でお届けしています。
統一原理に対する著者の分かりやすい解説がコンパクトにまとめられています。統一原理への理解を深めるために、ぜひ読んでいただきたいシリーズです。
白井康友・著
Q:イエスに対するサタンの三大試練の中でも、第一試練が最も重要な戦いであったと聞いています。この第一試練(石をパンに変えよ)と、それに対するイエスの返答は本質的にどのようなことを意味しているのでしょうか、詳しく説明してください。
A:まず「石をパンに変えよ」(マタイ四・三)とは、どのような試練であったかを解明してみましょう。コリント人への第一の手紙一○章四節にあるごとく、岩とはキリストを象徴していることが分かります。したがって石は岩から採れるので、石とは岩なるキリストより派生した神のみ言(真理)を意味していることが分かります。ヨハネによる福音書一四章六節に記されているように、キリストはみ言(真理)の実体という観点から伺い知ることができます。
イスラエル民族にとって、この石(石板)には、神と人間との聖なる契約としての十戒が刻まれており、この石なくして神の民たるイスラエルは、約束されたカナンの地へ入ることができないほどの重要なものでした。
ところが度重なるイスラエルの不信仰と、ついにはモーセが磐石を二度打つ(民数記二○・一一)ことによって石板と磐石はサタンに奪われ、さらには洗礼ヨハネの不信の結果、この重要な石をサタンが完全に所有するようになってしまいました。
そこで石板と磐石の実体たるイエスは、この石を取り戻して完全なる救いを成就するために荒野に出ていかれ、四十日断食(マタイ四・二)をして、サタン分立の条件を立てつつ、サタンとの一騎打ちの戦いを展開したのです。
さて創造原理によれば、人間は二種類の栄養素によって生きるようになっています。すなわち自然界より摂取する栄養素(物質)によって肉身を生かし、神より来たる生素(み言)によって霊人体を生かす(み言はしばしば霊的糧と表現されます)ようになっています。それゆえ、「石かパンか」という試練は「み言(真理)か物質か」という価値観の問題であり、人類史上の歴史的な根本課題を提起しているのです。
「悪魔の惑わし、偽りは、人間は神の言葉なしにも生きることができると信じさせようとすることである」(ボンヘッファー著「誘惑」新教出版社、290頁)とあるごとく、サタンの誘惑の目的、試練の根本目的はみ言(真理)の無力さを訴え、不必要さを訴え、最終的にはみ言(真理)の根源であられる神への否定に結び付けていくことです。その場面の状況を小山田秀生著の「ヘレニズムとヘブライズム」の一節、「荒野の試練」から抜粋してみましょう。
「イエスは見てきた。エジプトにおいて、またローマの支配下にあって、自分の同胞たちがどのような立場に置かれてきたかを。イスラエルは皆、牛馬のごとくこき使われ、男の屈強はすべて奴隷にさせられ、女の美しい者たちは娼婦にさせられ、老人たちはことごとく盲目となって、唯一の願いは死を待ち望むことのみだということを。ああ、これが神の約束した選民イスラエルの姿か。神を愛したという民の姿なのか。神を愛したということの報いがこの有様か。サタンのせせら笑いが耳元にひびいてくる」(前掲書68頁)。
「試みる者は不敵な笑いを浮かべつつ、イエスのこの痛ましい決意と神への忠誠を見ながらこう言うのである。「神などあろうか。あるならばお前の神を呼ぶがよい。神もしあらぱ、飢え渇くごとくに一切のパンを与えるがよい。そして衣を与えよ。しかし、それすらもできぬではないか。お前の神は無能ではないか」と」(前掲書69頁)。
サタンの勝ち誇ったような、らんらんと光る眼光を前にして、次に発せられるイエスの返答一つで、サタンとの戦いにおいて、イエスのそして神側の勝利が決定するか否かの正に歴史的な決定的瞬間でした。
「イエスの神の子としての威信、神の4000年の願いとサタンへの恨み、すべての地上の悪に対する裁き」の思いを込めて、サタンの心臓のど真ん中にイエスのみ言は語られたのでした。「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」(マタイ四・四)と。
すなわち、イスラエルと世界の悲惨の原因はパンの不足や経済的・物質的欠如のゆえではなく、かつての外的イスラエルの滅亡がそうであったように、すべての苦痛や苦悩や悲惨の根本原因は神に対する不信仰、み言の欠如のゆえであると喝破されました。人間はみ言によって真の人間となり、永遠の生命を受けるのも永遠の死に至るのも、み言を取るか捨てるかによって決まるからなのです。
ところが堕落人間は、神のみ言を直接受けられない状態に陥ってしまいました。それゆえヨハネによる福音書一章一四節にあるごとく、神のみ言が肉身となって地上に来られたイエスのみ言によって、堕落人間の霊人体が生きていくようになっています。ゆえにイエスの返答は、「私が今いくらひどい飢えの中に置かれているとしても、肉身を生かすパンが問題ではなく、イエス自身がサタンから試練を受けている立場を勝利して、すべての霊人体を生かすことのできる、神のみ言の実体とならなければならない」という意味でありました。
この勝利により、イエスは洗礼ヨハネの立場から個性を完成したメシヤの立場を取り戻すことができたのです。
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次回は、「イエス家庭の果たすべき使命」をお届けします。