神様はいつも見ている 11
~小説・K氏の心霊体験記~

徳永 誠

 小説・K氏の心霊体験記「神様はいつも見ている」をお届けします(毎週火曜日22時配信予定)。
 世界平和統一家庭連合の教会員、K氏の心霊体験を小説化したものです。一部事実に基づいていますが、フィクションとしてお楽しみください。同小説は、主人公K氏の一人称で描かれています。

第1部 霊界が見えるまで
11.「家を教会にしなさい」

 私の父は100日近く入院した後、退院した。
 といっても、事故以前の体の状態に戻ったわけではなかった。なんとか不自由さをこらえながら生活できるというレベルだった。

 医者から切断するしかないと言われた左手だったが、その手に茶碗を置いてご飯を一人で食べられるようになった。右手は無事だったので、車の運転もできるようになった。足は、少し引きずりはするが、普通に歩けるようになった。後には小走りもできるようになった。

 ただ、損傷した皮膚の感覚は戻らなかった。暖房器具のあんかでやけどをしても気付かないほどだった。

 しかし“神様”の言うとおり、「自分のことは自分でできるように」なったのだ。

 「生きていれば、何とかなるわ」

 父はそんなことをつぶやいた。

 「死んだらおしまいだから、生きているだけでもうけもんや」

 母は家に帰った父のマッサージや身の回りなどの世話をしながら、日常生活においては、家事とともに家業の土木事業を担った。

 接客や電話受けなどの事務が主な仕事だった。それが終わると、家族の食事の準備をし、夜は家に訪ねてくる信者さんたちの世話をした。

 医者から死ぬと言われていた父が奇跡的に助かったことで、母に取り憑(つ)いた“神様”のご利益は大したものだという噂(うわさ)が広がった。それで自分もその恩恵にあずかろうと考える人たちが続々と押し掛けてきたのである。まさに彼らは「信者さん」だった。

 母は父の命を助けてもらった恩返しで、悩みを抱えた人々の話を快く聞いた。そして“神様”にお伺いを立て、悩みが解消するよう導いた。

 なかなか治らない病気が先祖の罪の障りだった場合は、先祖の罪を悔い改める方法を教え、原因となっている恨みが解けるように指導した。

 「時間がかかるで。それをあなたはできる?」

 恨みの解消にはかなり時間がかかった。毎日、先祖の罪を悔い改める儀式をし、供え物をする。半年以上かかることもあった。

 難しいのは、相手が肉体を持たない霊的な存在であるということだ。肉体を持って生きている人間相手なら、直接的であれ間接的であれ、謝罪することで和解する道もある。だが、相手が肉体を持たない霊のみの場合は、恨みの感情を解くことは簡単ではない。

 例えば、鉄道の踏切などで自殺した地縛霊などの例を考えてみればいい。
 自分が死んだことを理解できずに地縛霊となった場合、その霊が別の人間の肉体に乗り移って再び自殺をしようとすることがある。

 聖書の中で、イエス・キリストが弟子のペテロに向かって、「地上で解くことは、天(あの世)でもみな解かれる」(マタイによる福音書 第18章18節)と語っている場面がある。

 これは、あの世での問題の解決は難しいということを言っているのである。
 だからこそ、霊が取り憑いた人の病気を治すことは、長い期間の悔い改めや修行、懺悔(ざんげ)の生活が求められるのである。

 母のお勤めは、毎日夜遅くまで続いた。母の勤行、信者さんたちの唱和、儀式は、太鼓と祝詞によって行われた。
 このことは私たちの生活にも少なからぬ影響を与えた。

 「自分を見てほしい」「どうしたらよいか教えてほしい」という人々の相談に、母は霊界と交信しながら解決策を提示した。

 求められれば、夜でも嫌な顔一つせずに出掛けていった。
 賽銭(さいせん)箱を置いて、本人に気持ちがあれば金額は問わずに入れてもらったが、基本的にお布施や報酬は求めなかった。無償の人助けだった。

 神道は、基本的に清浄を旨とし、穢(けが)れなどを忌避する。一般的に神社は、そのために朝早く起きて、何よりも本殿や境内の神域を清掃することから一日が始まる。

 わが家でも朝は家内外の清掃をする。最初は母だけでやっていたが、やがてその影響を受けて、兄や私も少しだけ手伝った。姉は低血圧で朝が弱かった。

 掃除の後には朝の礼拝に臨んだ。神様に一日の予定を報告し、お祓(はら)いの儀式を行い、心身を清めて出発した。

 朝食の後には、その日の祭祀(さいし)の準備をした。
 祭祀ではお供えをし、玉串(たまぐし)をささげたり、榊(さかき)を準備したりするが、信者さんが来れば、それに合わせて儀式を始め、お祓いをした。

 神様にささげる祈りは自由な祈祷ではなく、あらかじめ決められた祝詞の文を唱和し、大きな太鼓がドーン、ドーンと叩かれた。

 夜の遅い時間まで唱和の声や太鼓の音が響いていた。
 私たちは子守唄のようにその音を聞きながら休んだので、後にはどんな大きな騒音や雑音の中でも平気で眠られるようになった。

 人助けの生活から3年ほどたった頃だった。私は小学生になっていた。わが家は普通の家とは明らかに違うのだと強く意識するようになっていた。

 そんなある日、母に取り憑いた“神様”は「家を教会にしなさい」と言ってきたのである。

(続く)

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 次回は、「教会を建てる」をお届けします。