2021.10.29 12:00
信仰は火と燃えて 3
伝道に生きる生活の始まり
アプリで読む光言社書籍シリーズ、「信仰は火と燃えて」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
教会員に「松本ママ」と慕われ、烈火のような信仰を貫いた松本道子さん(1916~2003)。同シリーズは、草創期の名古屋や大阪での開拓伝道の証しをはじめ、命を懸けてみ旨の道を歩まれた松本ママの熱き生きざまがつづられた奮戦記です。
松本 道子・著
伝道に生きる生活の始まり
自分がイエス様を十字架につけた人間の一人だという自責の念が脳裏から離れず、翌日さっそく牧師のところに行って、その話をしてみました。すると牧師は、「それはサタンです。世の終わりには、天使のごとく装って悪魔がやって来ます。絶対にそんな話を聴いてはいけません」と真剣な顔をして止め始めるのです。私は、ああサタンなのかと思いましたが、西川宣教師の真剣なまなざしや熱心な話しぶりに心を動かされたことを思うと、それがサタンだと言われても、とても信じる気にはなりませんでした。
牧師の話と西川宣教師の話と、どちらが本当なのだろうか。もし西川宣教師が正しければ、信じなければ大変だし、また牧師の話が正しければ、私は神の前に罪を犯すことになる。どちらを信じてよいか分からず、私の心は動揺し、その精神的重荷のために食事が全くとれなくなってしまいました。そうして悩み苦しんだ結果、本当にその宣教師がサタンかどうか最後まで聴いてみよう、サタンならやっつけてやる、という気持ちになったのです。
西川宣教師に直接会い、聖書原理の話を聴くたびに、涙ながらに神様の話をし、義憤に燃えて語る西川宣教師の姿やまなざしに感動を覚え、どうしてこの人が悪魔であろうか、と思えるのです。私には、天に対して忠誠を尽くす神の子に見えるのでした。
そこで神様にお祈りしました。「天の神様、西川宣教師の話が本当でしょうか、牧師の話が本当でしょうか。私は苦しくてたまりません。どうか私を救ってください。イエス様、教えてください。神様、教えてください」と言って、大地をたたいて泣きました。
そんなある日、一人で泣きながら祈っていると、突然右の耳の上の方から「信ぜよ、信ぜよ、信ぜよ」と言う男の人の声が聞こえてくるのです。私は立ち上がって周りを見回しましたが、誰も人影はありませんでした。
また、ある時不思議な夢を見ました。電柱のような太い大きな二匹の蛇がからみついてけんかをしているかと思ったら、あとからあとから小さい蛇が生まれてきて、至る所蛇だらけになってしまったのです。私は恐ろしくなり、「この蛇を焼いてしまえ!」と叫びました。すると、韓国の白い服を着た男の人が現れて、パーッと火で焼いてしまいました。私は、きれいになった道を、ああ、あの人が焼いてくれたんだなと感謝の思いで見ながら歩いていくところで目が覚めました。
私は非常に興奮し、この不思議な夢の話を隣の部屋に寝ていた兄に語ったところ、「それは縁起のいい夢を見た、宝くじを買え、きっと当たる」と喜ぶのでした。私は、いやこれはそんな夢じゃないと思い、急いで西川宣教師に話しに行きました。
西川宣教師は「その夢には深い意味があります。これから堕落論を聴けばそれは分かります」と言って、すぐ堕落論の講義を始めました。すると、「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている」という聖句が出てくるではありませんか。そして、堕落性本性というものについて聴いていくうちに、まさしくこの自分がまむしのすえであることが分かってきたのです。私は身の毛がよだつほど驚き、絶叫して泣きました。
私の体の中には罪の血が流れている、まむしの血が流れている。だから私には嫉妬(しっと)心があり、猜疑(さいぎ)心があるのか。人を押しのけて自分だけよくなろうとする思いがあるのか。未亡人なのに、子供がいるのに他の男が目にちらつく。その人が微妙な目つきをすると、こちらも微妙な目つきで合わそうとする。その人に恋人があり、奥さんがいてもそんなことはおかまいなく、その人を奪おうとしてしまう自分。そうか、私の血統の中にまむしの血が流れているのか。前の聖句の意味がよく分かったのです。
私は結婚したにもかかわらず夫を一度も愛したことがありませんでした。そして、自分の夫以外の男性を心に描いているのです。映画を見て、あるいは小説を読んで、一度あんな恋をしてみたいなどと思っていました。聖書に「だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである」とありますが、夫以外の男性を心に描いているのですから、それ自体罪なのです。私は、まさしく自分が、堕落した人間始祖アダムとエバの子孫であるということをはっきりと知り、あまりにも悔しく嘆かわしくて、大地をたたいて泣きました。庭の丘の上に座って、胸をたたき、大地をたたき、腕をかみながら悔い改め祈ったのです。「天の神様、私は天のお父様と呼ぶこともできない者です。けれども、私はあなたの娘になりたいのです」と。
三日後には入院しなければならない体でしたが、もうその時から、どんなことがあっても最後まで聴かなければならないと思ったので、毎日出掛けて行って講義を受けました。繰り返し三回聴いたら、あまりの感動と驚きで息もできないほどでした。
兄は怒って「お前は入院しなければいけない体なのに、昼ごろ出掛けた女が夜中遅くに帰ってくるなんて。お前の顔には死相が表れているぞ!」と言うのです。娘も西川宣教師のことを「なにお母ちゃん、あんな変なシスターボーイみたいな男に、いやね」とけいべつするのです。
兄が、西川宣教師は密航した男だから警察に訴えるというので、私は「あの義人を警察に訴えるですって、そんなことしたら、私はもう兄さんとの縁を切ります。兄さんを殺します」などと言ってしまいました。すると兄は「なに、今まで親代わりになって育てて、嫁にいくまでにしたのに、それが兄に向かって言う言葉か」と言って殴るのです。私は、兄を殴るわけにいかないので、兄のたんすをけ飛ばしたり、揚げ句の果てには取っ組み合いのけんかをしてしまいました。そして「無礼者、出ていけ」と言うので、「出ていくわ」と言って、布団とちゃぶ台を包んで頭の上に載せ、家を出てしまったのです。
西川先生のところへ行くと、先生は事情を聴いて私を慰めてくださいました。そして「先生、本当のことを言ってください。偽者じゃないでしょう」と聞くと、「松本さん、よく考えてごらんなさい。ただ信ぜよというのでは神様を信じられない人に神様を科学的、論理的に証(あかし)して神様を教え、堕落論を通じて、まことの清い私になったという人をたくさんつくったからといって、神様がお前、地獄に行けと言ったら、喜んで行こうじゃありませんか。そこがすなわち天国ですよ」と言うのです。私は、それはそうだ、本当にそうだ、と思いました。
「牧師は西川先生のことをサタンだと言うけれど、神様を信ずる人をたくさんつくったから地獄に行けと言われて行けば、そこが天国なんだ。西川先生のあとに従って私も伝道しよう」。その一言で、私の心はピシッと決まりました。そして、「神様に誓います。医者は六カ月安静にしなさいと言いましたが、私はその六カ月間を神様にささげて伝道します。堕落性を脱ぎます。もし私が途中で伝道をやめ、手を鋤(すき)にかけて後ろを振り向くようなら、私を地獄の十二丁目まで行かせてください」と、大変な祈りをして新しい出発をしたのでした。
それから小さな黒板を準備しましたが、西川先生が最初に連れていってくれた場所は、明治神宮外苑でした。1960年8月16日、夏休みだったので庭園には学生や若い男女があふれていました。西川先生は、恋をささやき合うアベックを見て言いました。
「ここはエデンの園を象徴しています。あちこちで二枚舌でもってささやき合っている男女に、神様の証をしなさい。40日間、あなたはやれますか」
「はい、やります。どうしてもやらなければなりません。先生、お祈りしてください」
西川先生は、私の手を握って祈ってくださいました。私は、死んでも行こうと固い固い決意をして、初めての40日の開拓伝道に出発したのでした。
黒板を掛け、「神様、どうか私を助けてください」と必死で祈りながら、アベックのそばに行きました。
そして、神と人間と万物の本来あるべき姿を語って伝道しました。その時そこに集まった男女たちは、まるで幼稚園の子供のように見えました。それは、いと小さい者の口から流れる神のみ言(ことば)が、あまりにも高く貴い真理だったからそう思ったのでしょう。
その後30日目ぐらいになると、「ここには日本の神がいる。こんな所でヤソの話をするな」と迫害する人が出てきました。けれども私は、殉教するつもりで決意していましたから、誰が来ても何を言われても一歩も譲らず、40日の開拓伝道をやり遂げました。
そして40日目、夢の中でメシヤが私のところへ来られました。非常に驚いた私は、何かお食事の準備をと思い、急いで自転車に乗って八百屋に買物に行こうとした時、メシヤは親しげなお声で、「娘よ、ここに残っているほうれん草で十分です」と私を止められました。私は「はい」と頭を下げながら、緊張と感激で固くなっている自分を感じました。目が覚めてからも心はとても満たされ、この不思議な夢はいったいどんな意味だろうかと、一日中感動の波が私を包みました。
結局、40日間、私は意気地のない古い自分から脱け出し、神様との約束を守るために必死でやったのですが、神様から見れば、私がどれだけ根気強く最後までやるかという訓練の期間であったと思います。また、西川先生の必死なる祈りに支えられて歩んだ期間でもありました。
こうして日本での初穂として立たされ、西川先生と共に伝道に生きる生活が始まったのです。
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次回は、「聖別された群れ」をお届けします。