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霊界の実相と地上生活(7)
霊界で見た地上生活

 36家庭の李相軒先生(1914~1997)が霊界のさまざまな事実を証しされたメッセージ、「霊界の実相と地上生活【霊界の様相編】」を毎週土曜日配信(予定)でお届けします。

世界平和統一家庭連合

(光言社刊『霊界の実相と地上生活』より)

第一部 霊界の実相と地上生活
第二章 霊界で見た暮らしと地上生活
四 霊界で見た地上生活

貢献が多い地上人は霊界でどのように記録されるか
 地上生活とは、人間が霊界に来る前に、自分の人生をどのように生きたかという、生活それ自体がこの霊界に記録されていく過程です。例えば、地上で大統領として貢献をしたとしましょう。その人は、霊界でどのように記録されるでしょうか。

 自分個人のための人生ではなく、国家のために生きたので、その功績がこの国、霊界に記録されます。同時に、細々とした物質の不正、淫乱、誤った思想など、あらゆる記録が、まるで自分の自叙伝のように記録されます。

 このような暮らしの姿が、地上で最後に整理されるとき、霊界のどこに、どのように導かれるのでしょうか?

 神様が、無条件に現れて、「あなたは国の大統領として過ごしたから、どうぞこちらにいらっしゃい。御苦労だった」と言えば、どれほどいいでしょうか。しかし、とんでもありません。国の大統領もこの国に入ってくるときは、警護員の一人もなく来ます。自分の人生の基準の前に立つようになるのです。肉身の生命が終わったのち、少なくとも40日が過ぎてから、完全な霊界人になるのです。

 その人は、40日間、地上と霊界を往来しながら、自分の居る所を定めます。定めるに際して、神様は介入しません。先祖たちが協助するにはしますが、先祖たちも100パーセントは協助できません。まるで風が吹けば、風のなすままに動いていくように、自分の居る所は、自分自ら探していくのです。誰も審判しません。それぞれ審判の位置が違うのです。そして自分の居所に行き、落ち着けば、誰がさせるのでもないのに、自然に自分の引導者が現れて導くのです。

 霊界の級数によって、審判する雰囲気が違います。国の大統領を務めたとすれば、恵沢がないわけではありません。しかし、国に大きな貢献をしたことは恵沢の条件になるとしても、自分の存在価値が善の立場に立てなかったなら、断固とした処罰を受けるようになります。それが霊界です。

 それゆえ、この国、霊界では、大統領だとか、あるいは、一番下だというような階級的な差が、霊的基準を左右するのではありません。いかに正しく人生を生きたかという道徳的な基準が、その人の価値を評価する所です。

 「霊界では、学力の差による差別待遇はありませんか。地上では、学力のある人と、学力のない人の位置が違いますが、霊界ではどうですか。学力がなくて末端で働く人たちは劣等意識を持ってはいませんか」と李相軒(イ・サンホン)院長に尋ねると、「霊界でも、自分の専攻によって、働く分野が違います。しかし、劣等意識というものは、地上とは違います。自分自身の人生の基準の価値を知らず、誤って暮らしたことが、最も恥ずかしさとして現れるのです。学力水準の差に左右される地上とは全く違います」と答えられました。

宗教人と非宗教人の差
 信仰をした人と、しなかった人の差は非常に大きいです。そこにも相当な階層があります。信仰をしていて、かつ善なる人は、本当に神様の霊界の恵沢を受けることができますが、信仰をしながら良心的でない人は、信仰をしなかった人と、ほとんど同じです。神様を知らない立場で、人生を生きた人はみな、神様と関係ない所にとどまるようになります。神様が特恵を施すときにも、非宗教人は、恵沢が与えられるのが遅いのです。

 天国にも特恵があるのかと思うでしょう。神様が人間に神霊によって特恵を与えられ、人間を愛されるように、天国にも特恵があります。階層別に、自分の位置で自由の身となって、願う所へ移っていくときがあります。これは地上人の祈祷とも関係があります。その時は、神様の命令によって移動するのです。

食口(シック)たちの位置は、他の宗教人たちとどのように違うか
 一言で言って、あまりにも大きな違いがあります。すなわち、霊界圏が違うのです。食口たちの各自の人生により、少しずつ違いはありますが、全体としての霊界圏の位置が違うのです。大きな違いというのは、神様に対しての位置のことです。

 神様の対話を感じることも、聞くこともできない他の宗教人たちの領域があります。しかし、統一食口たちは、最初から大部分が神様と呼吸することができる位置にいます。ここでもいくつかの階層があります。グループによる差があるのです。申し訳ないことですが、李相軒が見た霊界を明らかにすることで、我々食口が地上の人生を整理できるだけでなく、ここに正しく来る助けになるようなので、申し上げます。それが真の父母様のための道だと考えるからです。

 36家庭の位置は大変なものです。家庭の階級においては最高です。しかしながら、最高の位置において赤裸々に自分の誤りをすべてあらわにして生きていく苦しみは、本当に表現しがたいものです。

 地上にいる時、女性問題、公金問題、そのほかの問題に引っ掛かった家庭は、地獄にいるのではなく、神様のそばにいながら、あらわになった姿で生きていかなくてはなりません。それは言葉で言えない苦しみです。

 例えば、他の女性と性関係を持っている場面が随時、皆の目に見えるのです。また、公金を自分勝手に使いながら、酒場に行って、女と堕落しながらお金をばらまく姿がはっきりと見えるのです。一言で、地獄よりもっと恐ろしい所です。

 そのほかの家庭が犯した罪も、罪の質によって階層がたくさんあります。しかし、大部分は、神様の近くにある霊界圏にいます。罪を犯した者たちが、集まっている監獄もあります。ここで罪人が集まって、自分の罪を蕩減(とうげん)する方法があれば、どれほどいいでしょうか? しかし、ここでは、自ら解決しうる罪の蕩減方法はないのです。

神様の特恵
 霊界人は、地上にいる後孫の祈祷、献金、奉仕などの功績を通じて、監獄の門が開かれれば、そこから出てくるようになります。その後、引導者が現れて、自分の位置に合うように導くのです。

 高位の家庭が、神様のそばで自分の罪をすべて蕩減して平安に生きていくときはいつでしょうか? 自分が犯した罪を、後孫が蕩減してからのことです。後孫が祈祷して精誠を捧げれば、それを見る霊界人は、苦しくて逃げようとします。ところが、逃げていってもまた帰って来なければならない所が、自分の位置です。

 地上人の祈祷と精誠があれば、蕩減期間が短くなりますが、大部分はそれを知らないために、苦しみを受ける期間が長いのです。

 霊界で苦しみの期間が長ければ、地上の後孫は、知らず知らずのうちに、体の調子が悪くなります。先祖が苦しんでいるので、後孫も具合が悪くなるのです。つまり、先祖が犯した罪のために、後孫が罰を受けるのです。天道に逆らえば、行く道がありません。義の道に従っていくべきです。

199769日)

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 次回は、「霊界人と地上人の生活」をお届けします。


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