2021.09.22 17:00
日本を愛した文先生の足跡(12)
宝塚
8月24日に迎えた文鮮明総裁聖和9周年を記念して、「日本を愛した文先生の足跡」(全15回)を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。
1967年8月7日、文鮮明(ムン・ソンミョン)先生は宝塚修練所(兵庫県宝塚市)の聖別式と聖地決定のため、関西に向かわれました。
宝塚修練所は雄大な自然に包まれた中にあります。文先生はとても喜ばれ、新しい霊的な生命の誕生のため、非常に大きな期待を寄せられました。
この修練所は、昔、旅館であったため、台所・風呂場・トイレなどの設備はありました。しかし、電気や水道が使えなかったため、食事や宿泊の準備をすることができなかったのです。泊まっていただくのにはあまりにも大変な場所なのですが、文先生は「今夜、ここに泊まったらいけないか」と言われるのでした。「一晩くらい寝なくても、食べなくてもいいじゃないか。昔はこうだったんだから」と言われるのです。
文先生をお迎えする前に、壮婦が祈って一生懸命に掃除し、柱はもちろん、天井、畳の目の一つにいたるまで、腕がちぎれるほどに磨いていました。そのような心情を取ってくださったのかもしれません。
文先生はろうそくの光で夜遅くまで話され、そのまま修練所に泊まられました。
翌8日早朝、文先生は自ら山を歩かれ、聖地にふさわしい場所を探されました。ある場所で南に向かって立たれ、「ここは山相がいいよ。大トラが座って、尾が長く伸びている相である」と言われました。そして場所を指示され、文先生が鍬(くわ)を入れた後、教会員が掘り起こしました。
午前8時、聖地決定。その日は曇り空でしたが、聖地が決定された瞬間、晴れ間が広がり、太陽の光が差し込みました。その後、文先生は「原研修練所」「原研学舎」と揮毫(きごう)してくださいました。
1973年7月12日には、名古屋以西の教会員が宝塚修練所に集まりました。そこで文先生は「信仰の一念」と題してみ言を語られました。「宗教生活においては信じるとともに会いたい、見たい、住みたい、三大要素だよ。会いたい。それから見たい、会ってみて、それから何をするの。住むには愛を中心として住むというんだね。それが本心の願いだよ。
…それで住みたい一日を迎えるために天国をつくらなければなりません。日本の地がもしも天国になった場合、先生に来るなと言っても来るようになるよ」
また1992年3月29日には、改築された宝塚研修センターで、集まった教会員にみ言を語られました。
(参考/『日本統一運動史』P275~277、P324、P339~340、P453~454、『成約の鐘』1973年10・11月号など)
「宝塚修練所に来られた文先生は、その夜(1967年8月)、私たち高校生を部屋に招いてオレンジジュースを下さり、さまざまなお話をして下さいました。17歳の少年にとって『大先生』の言動は、それまで会った『大人』の中で突出した印象を与えるものでした」
(和田賢一氏/『中和新聞』2000年10月15日号より)