2021.09.07 22:00
アダムとエバ
岡野 献一
『FAXニュース』で連載した「旧約聖書人物伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
アダムとエバは人類最初の男と女です。
もしアダムとエバが堕落せず、完成していたなら、人類の「真の父母」になっていました。それほどに重要な使命が与えられていたのがアダムとエバであり、神様に最高の喜びをもたらすべき存在でした。ある意味で、旧約聖書の登場人物のなかで最も有名なのが、アダムとエバではないでしょうか。誰もが知っているというその知名度にもかかわらず、聖書にはその人物像がほとんど語られていません。どうしてでしょうか。それは堕落することによって、神様の心に千秋万代にわたる深い悲しみを刻み込み、また万物に嘆息をもたらしたからです。
頭が機敏に働くアダム
文鮮明先生のみ言に「アダムの生まれた日、アダムの結婚した日、アダムが死んだ日がなければならないのですが、その日がありません。生活の記録がないのです。しかし、それは神様に必要ありません。真の父母のときにおいて、真の父母が生まれた日と、真の父母が結婚した日と、真の父母が死んだ日と、真の父母の生活観を残すのです」(1998.11.19)とあります。そういう意味では堕落したアダムとエバについてはあまり知らない方がいいのかもしれません。
アダムの名の由来はアドム(赤い)とアダマー(土)から来ています。ひょっとするとその容姿は(狩り好きだったエサウのように)赤かったのかもしれません。そして「神は元来、人間の外的な肉身を先に創造され、その次に内的な霊人体を創造されたので(創二・7)、再創造のための復帰摂理も、外的なものから内的なものへと復帰してゆく」(『原理講論』514ページ)という原理から言えば、アダムも最初は外的なことに関心をもち、野山を駆け巡り、体の俊敏さや腕力に価値観を置くやんちゃな少年だったのかもしれません。また神様がアダムのもとへ連れてきた動物に次々と名前を付けていったわけですから、とても頭が機敏に働く男の子だったのでしょう。一方、エバの名は生命に由来します。
堕落後の責任転嫁
文先生はアダムとエバについて次のように語っておられます。
「アダムは外的な万物の主人になろうとするので、日が昇りさえすれば“きのうは、夜遅くまでうさぎを追いかけ回して歩き回ったから、そのうさぎは間違いなく、どこかの松の株で眠るだろう。それを探しに行けば、捕まえられるだろう”と思って、朝早くから…探しに行くのです。…そうすると、エバはエバの性格でそれを…探しに行くなと言うのです。『お兄さん、行かないで』と言えば、『おい、おまえ、言うことを聞け』『何よ、兄さんこそ』と…。
兄と二人きりで暮らすのに、お兄さんがうさぎを捕まえに、日が昇る前から山の頂上に登っていくとき、エバは…そのような男性についていくことができないのです。…早朝からお兄さんはうさぎを捕まえに行き、妹が泣くのに顧みもしないのです。…アダムも、今の世の中の夫婦のように口づけし、愛してあげてから出掛けることもできないのです。…振り向きざまに『じっとしていろ!』と言い残して行くので、エバは泣くようになっているというのです。…お兄さんが門を開けて入ってくれば、大きな声を出して再び泣くようになっています。…エバがそのように一日中泣くので…面倒を見る責任を持ったのが天使長であったというのです。…エバが泣くのを見るとき、天使長がおぶってあげ…(エバが眠ると)ひざに下ろして眠らせ(たのです)」(1997.8.9)。
そういう状況のなかで堕落が起こっていったのだと文先生は語っておられます。
おそらくアダムとエバは、血液型で言えばA型とB型の正反対の性格だったのかもしれません。(もしくはO型とAB型?)言わば天と地ほど違う性格を持ったアダムとエバが、神様を中心としてひとつになったとするならば、それはそれはすばらしい、世界中のすべての人を包み込む円満な人格をもっていたに違いありません。
二人は堕落後、責任転嫁し合いました。兄妹喧嘩の次は人類最初の夫婦喧嘩です。文先生は次のように語っておられます。
「アダムと…エバも歴史的に見れば怨讐です。…お互いに『おまえは、私を堕落させた!』と言うのです。…(しかし)今からは保護主義です。…方向が違います。『あなたがそのようになったのは私がそうだからです。あなたが妻になって幸福でないのは私の責任です』…また妻は『夫が幸福になることができなかったのは私の責任です』と言わなければなりません。そのような責任を追求して、咲かさなければならない花は何の花ですか?『愛の花』です」(1999.9.10)と。
愛の花を咲かせられなかったのが、アダムとエバでした。
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次回は、「カインとアベル」をお届けします。
画像素材:PIXTA