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心のあり方 36
幸福の種蒔き

 もう一度皆さまにぜひ読んでいただきたい、編集部イチオシ!なコンテンツをご紹介。
 「文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。

 なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方』より)

第十章 幸福は、人のために生きる人生の中にあります

幸福の種蒔(ま)き

 人は誰でも幸福を求めて生きています。そのために、多くの人たちが年末年始になると、神社やお寺を参拝します。願い事は、自分と家族の健康や家族円満です。子供の合格受験や良縁も願います。生活の向上も大切なお願いです。

 では、幸福とは、自分と家族だけの願いが満たされることなのでしょうか。文鮮明(ムン ソンミョン)先生は、少し違う幸福観を持っています。人のために生きて、人が幸福になった姿を見て感じる喜び。それこそが幸福と考えておられます。自叙伝には十歳のときの出来事が書かれています。

 「十歳の時でした。大みそかの日になって、村じゅう餅をつくるのに大忙しだったのに、暮らし向きが困難で食べる物にも事欠く村民がいました。私はその人たちの顔が目に焼き付いて離れず、一日中、家の中をぐるぐる回ってどうしようかと悩んだあげく、米一斗を担いで家を飛び出しました。家族に気づかれないように米袋を持ち出そうとして、袋に縄を一本結んでおく余裕もありませんでした。それでも、米袋を肩に担いだまま、つらさも忘れて、勾配(こうばい)が険しい崖道を二十里も跳ねるように駆けていきました。おなかを空かした人たちを腹いっぱい食べさせることができると思うと、気分が良くて、胸がわくわくしました」(自叙伝 22─23ページ)

 文鮮明先生にとって幸福とは、ために生きて味わう喜びなのです。幸福になった人から頂く喜びなのです。プレゼントなのです。

 夫を幸せにして、夫から喜びを頂く人を妻と呼びます。

 妻を幸せにして、妻から喜びを頂く人を夫と呼びます。

 子供を幸せにして、子供から喜びを頂く人たちを親といいます。

 父母を幸せにして、父母から喜びを頂戴するのが子供です。

 お嫁さんを幸せにして、喜びを得る女性を姑と呼びます。

 姑さんを幸せにして、喜びを賜る女性を嫁といいます。

 幸福は頂きものなのです。

 「良く働く人は幸せになる」と諭す人がいます。この方によると、働くとは、「傍(はた)を楽にする」つまり、傍らの人を幸せにする、ことなのです。

 また、人のために生きることは“幸福の種蒔き”とも言えます。蒔いた種は花を咲かせ、実を結びます。妻が夫に種を蒔けば、夫から幸福の実を頂けるのです。夫が妻に種を蒔けば、妻から幸福の果実を食べさせてもらえるのです。

 ところで、幸福の種を歌で蒔いているのが歌手です。文鮮明先生はこう語っています。

 「生涯を声楽家として生きてきた人が、無人島に行って声が嗄れるほど歌を歌ったとしても、聞いてくれる人がいなければ幸福になることはできません」(自叙伝343ページ)

 確かに、どんなに素晴らしい歌手でも、聞いてくれる人がいなければ空しい限りです。聞いて喜んでくれる人、慰められる人、涙を流して感動してくれる人、それらの人たちがいてこそ、歌手は幸福になれるのです。

 歌手といえば、紅白歌合戦があります。一年の締めくくりとなるNHKの歌の祭典です。参加できれば歌手の誉れです。なかでも最後を盛り上げるトリは力量、運気とも抜群の歌手が選ばれます。近年は、グループで歌う傾向があります。二〇一二年は、男性白組はスマップ五人組、女性紅組は、いきものがかり、でした。

 昔は、一人の歌手が大いに盛り上げたものです。紅組は何と言っても美空ひばりさんでした。男性白組でも、NHKホールが春のように華やかになる歌手がいました。三波春夫さんです。「東京音頭」「チャンチキおけさ」など、大いにヒットしました。三波さんは、当時、誰もが知っている名文句を言いました。

 「お客様は神様です」。

 三波さんは、お客様という神様の前で歌っていたのです。神様を歌で喜ばせていたのです。お客様の喜びがあって、歌手としての喜びがある、と自覚されていたと思います。

 この言葉は、単なるリップサ─ビスではありません。三波さんの苦労だらけの人生からにじみ出た言葉なのです。浪曲師だった三波さんは太平洋戦争で出兵しました。戦争が終わったとき、兵士たちは過酷な戦場から本土へ帰還しました。しかし、三波さんは帰れませんでした。戦場よりもっとつらいと言われる場所に行ったからです。

 旧ソ連の捕虜となり、シベリヤで強制労働に服したのです。同志たちの悲惨な死を見つめたに違いありません。解放されて帰ってきて、できることは歌を歌うことだけでした。きっと、歌を聴いてくれる人たちが、神様のように見えたに違いありません。確かに誰もが神様に生かされているように、三波さんはお客様に生かされたのです。文鮮明先生が言われるとおりです。

 「自分のために歌を歌ってみても全然幸福ではないように、自分のためのことには喜びがありません。いくら小さくても、取るに足りないことでも、相手のために、人のためにするとき、幸福を感じるのです。幸福は、『為に生きる』人生を生きる時にこそ発見できるのです」(自叙伝343ページ)

 夫婦であれば、夫は妻の歌手であり、妻は夫の前で最高の歌手にならなければなりません。妻の奏でる愛の歌で夫が拍手喝采(かっさい)をするとき、無上の喜びが妻の心を満たすのです。

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【み言訓読タイム⑩】
*自叙伝「平和を愛する世界人」より

 幸福は必ず相対的な関係においてのみ成立します。生涯を声楽家として生きてきた人が、無人島に行って声が嗄(か)れるほど歌を歌ったとしても、聞いてくれる人がいなければ幸福になることはできません。私がある相対のために存在しているという事実を悟ることは、人生の尺度を変えるような一大事です。私の人生が私だけのものでなく、誰かのためのものであるとすれば、今までの生き方とは全く違う道を行かなければなりません。(自叙伝343ページ)

 幸福は、人のために生きる人生の中にあります。自分のために歌を歌ってみても全然幸福ではないように、自分のためのことには喜びがありません。いくら小さくて、取るに足りないことでも、相手のために、人のためにするとき、幸福を感じるのです。幸福は、「為(ため)に生きる」人生を生きる時にこそ発見できるのです。(自叙伝343ページ)

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 次回は、「星野富弘さんの詩画」をお届けします。


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