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日本統一運動史 47
日本に真の御父母様を迎える準備時代㉛
開拓伝道地からの便り、その二

 『日本統一運動史~文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』を再配信します。
 創立40周年の際に発刊されたこの書籍は、日本における文鮮明・韓鶴子総裁ご夫妻の貴重な歴史的足跡と、多岐にわたる統一運動の歴史をまとめた一冊です。
 今、改めて読んでおきたい、日本の統一運動の歴史を振り返る連載です。

歴史編纂委員会・編著

(光言社・刊『日本統一運動史~文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』より)

第三章 日本に真の御父母様を迎える準備時代

三、草創期を築いた人々の歩み

(3)最初の主要都市開拓伝道以後の歩みと入教者の証し(1961.6〜)

16. 開拓伝道地からの便り、その二

◇大阪教会 松本道子
 「いよいよ春日、竹内さんの到来により、大阪の伝道も活発になってきました。私たち大阪の姉妹は自ら働き、パンフレットを造り、家賃、生活費、伝道費を補う今日このごろであります。そして天では父の示す夢により、ある一家族(母、息子、嫁)に毎日原理講義を致しております。ところがその家族3人の宗教は皆別々な信仰を持っていましたが、この偉大な原理によって統一してしまいました。」(『成約新聞』第11号1962.4.15付より)


◇神戸開拓伝道 増田勝
 「名古屋出発以来、雨が降っています。大分むごい雨です。コートがずぶぬれです。未だ定住する家がありませんが、そのうちにお知らせできると思います。その時は、パンフレット等たくさん送って下さい。」(『成約新聞』第11号1962.4.15付より)


◇仙台開拓伝道 春日(現、ロニヨン)千鶴子
 「本当に冷たいのは今日の教役者であります。昔、預言者が嘆いたように、神の家は荒れすたれ、真の生命が失われ行く新約の教会であります。仙台40万人の都会の中に真の人はいったいどこにいるのかと、一人伝道していると、語る相手はなく、ただひたすら御父様を呼び続け歩くのみであります。呼んでみても直接には答えてくれぬ天、しかしなおも呼び求めねばやっていかれぬ日々であります。開拓伝道者が誰しも味わわねばならない路程、それは体験なくして云々できるものではないことを知るのであります。…私は天の心情に触れ、さんざん泣きました。…エデンの園を造るため、苦難の道を通った先生を、…一歩一歩踏み締めていきたいと思います。」(『成約新聞』第19号、1962.8.15付より)


◇名古屋教会 岩井(現、神山)裕子
 「地方の愛する兄姉を思います時に胸がしめつけられる思いが致します。前進して行かねば申し訳が立ちません。父が泣かれて来た涙の摂理を実感します時に、私たちも復帰するには涙を流さねばと思います。…今、1時半です。皆気持ち良く寝ています。では、今日はこれにて。」(『成約新聞』第21号、1962.9.15付より)


◇北海道開拓伝道 澤浦秀夫
 「(1962年)8月6日、命にて北海道に派遣され帰るまで約40日間、義人聖人の復帰路程の中で流された血と汗の一滴をも多く味わい、大天宙の中より見ればちりの如き自分でありましたが、天の愛にひたり天の心情を知らされ、小さな心の中で過ぎし義人、聖人の6000年にわたる叫びの脈拍が、迫害されては実感としてこだましました。『汝らのために笛吹きたれど汝ら踊らず』と嘆き悲しまれた2000年前のイエス様の心情が、また地球上のある一隅で声を大にして叫べども馬耳東風の神の子であるべき兄弟を見るにつけ、天の父の6000年間にわたる悲痛の叫びが、小さな存在者である私に激しく襲いかかり、彼らと共に心情の万分の一をも味わうことのできた自分の幸を感謝し、涙の中に義憤の中に立ち上がる自分でありました。」(『成約新聞』第23号、1962.10.15付より)

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 次回(8月27日)は、「日本に真の御父母様を迎える準備時代㉜」をお届けします。


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