2021.08.18 17:00
日本を愛した文先生の足跡(7)
大阪
8月24日に迎える文鮮明総裁聖和9周年を記念して、「日本を愛した文先生の足跡」(全15回)を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。
大阪は勝敗を決する十字架の峠
1965年2月2日、午後7時になって、ようやく文鮮明(ムン・ソンミョン)先生ご一行が大阪教会に到着されました。当日、寺田町の教会には80人ほどの老若男女が集まり、午後1時ごろから聖歌を歌って、お迎えする準備をしていたのです。
「お父様(文先生)、お帰りなさい」の言葉に迎えられ、車から降りられた文先生は2階に上がられ、しばらく祈祷された後、歓迎会に臨まれました。
文先生は大阪について次のように語られました。
「東京は東のエデンの園を表し、名古屋は名高い古い屋敷を表し、ここ大阪は大きな峠を思わせます。ゆえに大阪の地は勝敗を決する十字架の峠であり、この地の復帰が、日本あるいは世界の栄光の峠になることを願います」
「大阪は皆が一つの家族という感じが強い所です。神を中心として心情がつながれていれば、国境も何も問題ではありません。先生は(ある意味では)日本人です。日本を真に愛する者が真の日本人であり、世界を、天宙を愛する者は、世界人であり、天地に公認される者となることができるのです」
その後、文先生は「茨(いばら)なる道の復帰路程」と題して、3時間余りにわたってみ言を語られました。
伝道するのは自己の完成のため
午後11時半、ようやく食卓に着かれた文先生は、松本道子地区長(当時)の手料理をおいしそうに召し上がられました。
翌3日、文先生は出発前にもみ言を語られました。
「なぜ伝道するのでしょうか。誰のために伝道するのでしょうか。天宙復帰には己が完成勝利しなければならず、伝道は(最終的には)己のためにするのです。我々の勝利のためには最低12人の(信仰の)子女を産まなければなりません。それが蕩減であり、神の宴に招かれる礼服です」
文先生は「天地復帰之願」「勝越大阪之峠」「統一の勇士群世界を制圧す」と揮毫(きごう)されました。
また大阪城内に聖地を決定され、高松へと向かわれました。
(参考/成約新聞1965年3月15日特集号、『日本統一運動史』)