2021.08.16 12:00
(『祝福家庭』72号)
【第3祝福】「万物主管」
いつでもどこでも、訓読生活!
このシリーズでは季刊誌『祝福家庭』に掲載されている三大祝福完成に関するみ言を紹介します。
自然は、ために生きる愛をもった息子、娘が生まれるとき、その息子、娘に、ために生きることのできる万物として、贈り物として神様が下さった展示品です。一羽の鳥も、一株の草も、愛の息子、娘たちの生活を美化するために造られた装飾品なのです。道端に転がっている石ころも、息子、娘が国を治める主人になることを知っていて、その国の装飾品として造ったというのです。
(天一国経典『天聖経』第6篇・第3章・第4節・3)
皆さんが自分本位にもっている物は、皆さんの物ではありません。私が住んでいるその家が私の物ではなく、私が食べている御飯が私の物ではなく、私が使っているささいな日常の家の物すべてが私の物ではないというのです。
これは、永遠無窮に継承できる公的な父を中心とした世界と、永久に関係を結んでいる公的な物であることを忘れてはいけません。私が着ている一着の服もそうであり、私がもっている生活基盤ももちろんであり、私がもっている体も私の物ではないというのです。
(同 第6篇・第3章・第3節・5)
皆さんが、捨てるべきではない物をたくさん捨て、消耗すべきではない物をたくさん消耗するのをたくさん見てきました。
ですから、どのようにしてでも、世界のため、神様のみ旨のため、この国の復帰のために、一銭でも節約できる道を模索しなければなりません。ですから、経済的管理において、より一層節約できる道を開拓しなければなりません。
(同 第6篇・第3章・第3節・16)