愛の知恵袋 9
胸を打つ“まごころ”

(APTF『真の家庭』より)

松本 雄司(家庭問題トータルカウンセラー)

 ある日の夜、買い物を終えて店から出てきた私は、駐車場に停めてあった車に乗りこもうとしました。その時、一人の若者がそばに寄ってきました。

 「あのう、すみません……この車の持ち主さんですか?」
 「はい、そうですが……」
 「実は、僕が車を停めるとき、ぶつけてしまいました……」
 「えっ、そう?」
 急いで外に出て見ると、後ろのドアがへこんでいました。ちょっとした傷なら気にすまいと思っていましたが、修理をしなければならないようです。

 「弁償しますので、見積もりを取ってください」
 「そう、分かりました。修理屋さんで見てもらって、お知らせしましょう」
 「これが僕の自宅の電話です。ここに電話して下さい。どうも済みませんでした」
 車を傷つけられたのだから、普通なら不愉快な気分になるはずですが、私は家に帰りながら、言葉には言い難い感動のようなものを感じていました。

 翌日、彼の家に電話すると父親らしき人が出ました。私の名を告げると、「ああ、息子から聞いています。幸いうちの車も保険に入っていましたので保険から出してもらいます。このたびは息子がとんだご迷惑をおかけしました。きつく言っておきます」

 「いや、彼を叱らないで下さい。確かに事故は不注意ですが、彼は私が車に戻ってくるのを待っていて自分から申し出てくれました。今どき、こんな正直な青年がいたのかと感心しましたよ。ほんとにいい息子さんですね」

 「いやぁ、車をぶつけたのにほめられたのは初めてです。全く恐縮です」

正直ということ
 この若者の取った行動をどう見るかという点では、考え方は分かれるかもしれません。「そんなバカ正直では、海千山千のこの世は生きていけないよ」という考えもあるでしょう。また、「いや、正直者こそが最後は報われるのだ」という人もいるでしょう。

 しかし、少なくとも私は、彼の態度に胸を打たれたのです。正直さ、誠実さ、そして、自分のしたことに対して逃げようとせず責任を取ろうとした姿勢を立派だと感じたのです。

 昨今の世情は”正直者はバカを見る”というのが当たり前のようになっています。そんな時代にこのような青年がいたことに、私は少なからず驚き、感動したのです。まさに、“暑中、一陣の涼風”でした。

新幹線に飛び乗った店員
 こんな話があります。京都のある和菓子屋の店員の話です。創業者は思うところあって39歳で公務員を辞め、和菓子店を始めました。饅頭をつくって観光バスの窓に向かって売り歩くところから始めて、苦労の末に会社を発展させたのですが、何よりも社員には「お客様に喜んでいただけるよう尽くしなさい」と教えたそうです。

 ある日、お菓子を買ったお客様が代金を払って、時間を気にしながら急ぎ足で行きました。ところが、肝心のお菓子を置き忘れていったのです。気づいた女子店員は急いで後を追いましたがもう見あたりません。彼女はすぐにタクシーに乗って京都駅に向かいました。店で交わしたやりとりから東京の人で何時の新幹線に乗るということを思い出したからです。発車寸前の新幹線に飛び乗った彼女は、長い列車の中を懸命にお客様を捜し、もうすぐ名古屋というところでやっと見つけました。お客様は驚くやら感激するやらで、何度もお辞儀をして礼をいい、目頭を熱くしながら握手を求めて、「君はこれからどうするの」と聞きました。「お会いできて本当に嬉しかったです。ちょうど名古屋ですので、京都に引き返します」といって彼女はホームに降り、列車が見えなくなるまで手を振って見送ったのです。

“こころ”が心を打つ
 このことを和菓子屋の社長が知ったのは、彼女からの報告ではありませんでした。そのお客様が感動してある雑誌に書いた記事を和菓子店にも送ってくださったのです。読んだ社長は、途中から涙で字が見えなくなりました。創業者の“こころ”がそこにまだ生きていたからです。

 頭で考えておこなった親切は、それほど深く人の心を感動させることはありません。しかし、情に突き動かされて我知らず取った行動は、時として人の胸を強く打つのです。そこには利害打算を忘れた“まごころ”があるからです。