私の心の中にいる神様 80
「お便り&コメント」シリーズ⑨
祭壇の前で祈るのが苦手です

 真の父母様が、「第二の神様」であると言われた“良心”。自分の心の中にいる神様―良心―と対話(瞑想、祈り)することによって、本然の自分を取り戻していくことができます。
 今回は、「自己牧会プログラム」事務局に寄せられたお便りと、それに対する同事務局からのコメントをご紹介しましょう!

 昔から祭壇の前に座ってのお祈りが苦手でした。時には天に通じて祈れることもありますが、ほとんどは雑念で祈れず、定型文を読み上げているような感じでした。
 ところが、自己牧会プログラムのワークを始めてみると、驚くことに、祭壇の前で祈っているわけではないけれども、生活の中で天に心が通じている感覚が持てるようになったのです。
 しかしそれで満足してしまい、祭壇の前で祈ることが以前より少なくなりました。これはあまり良くないことですか? アドバイスをお願いします。
(女性 30代)

 家庭祭壇は、天の父母様と真の父母様の象徴ですから、そこを中心に生活することはとても重要です。
 苦手であったとしても、家庭祭壇の前で、朝と夜、そのほか事あるごとにあいさつして過ごすことを、これからも意識して実践していただきたいと思います。

 一方で、内的な本質としては、食口(シック/家庭連合の教会員)一人一人が生きた祭壇であるということです。食口の中にある良心こそ、生きた聖殿なのです。
 そこに気付いて、生きた聖殿である良心に侍って生活することが、天一国時代における信仰生活であると思います。
 ですから、お便りのかたが、「生活の中で天に心が通じている感覚が持てるようになった」というのは素晴らしいことです。

 「祈る時間がなければ、歩き回りながら祈りなさい」(天一国経典『天聖経』1010ページ)というみ言もあります。
 生活自体が祈りであることを意識して、これからも生活の中で神様と通じる体験を積み重ねていってください。

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 次回(8月7日)は、「お便り&コメント」シリーズ⑩「夫との既成祝福を願って38年、心が折れそうです」をお届けします。


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