青少年事情と教育を考える 160
利他の本質は人間の意思を超えたところに

ナビゲーター:中田 孝誠

 前回に続き、今回も「利他」について考えてみたいと思います。

 家庭教育や学校教育においても、子供たちが利他の精神を養い、そうした行動ができるようになることは大切な目標です。

 道徳教育の学習指導要領には、学年ごとに指導する内容項目が示されています。

 例えば小学5・6年では、「誰に対しても思いやりの心をもち、相手の立場に立って親切にすること」(思いやり、感謝)を教えます。また、「働くことや社会に奉仕することの充実感を味わうとともに、その意義を理解し、公共のために役に立つことをすること」(社会参画、公共の精神)、「父母、祖父母を敬愛し、家族の幸せを求めて、進んで役に立つことをすること」(家族愛、家庭生活の充実)といった項目もあります。

 これらは、利他の精神に関わる内容だと言えるでしょう。こうした内容を身に付け、実際に行動できるようになることが、教育の大切な目標です。

 ところで、前回も触れた『「利他」とは何か』(伊藤亜紗編、集英社新書)に、次のような話が述べられています。

 利他の行動は、一言で言うと他者のために生きるということです。しかし、これをしてあげたら相手のためになるだろう、といった自分本位の思いが含まれていると、ただの押し付けになったり、見返りを求めたりする利己的な行動になりかねないというのです。

 利他的なつもりで行動しても、自分が先に立って気まずい思いをしたという経験を持つ人は少なくないのではないでしょうか。

 一方、同書では、人間の意思を超えたものによって促されるとき、そこに利他が生まれるとも語られています。大切なのは意図的な行動ではなく、人知を超えたところに利他の本質があるというのです。その意味では、宗教的な教育も大きな意味があると言えそうです。