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風のハンカチ

(光言社『グラフ新天地』440号[2005年2月号]より)

作・うのまさし
画・小野塚雅子

 しづが、こすけと過ごした場所を歩いています。2人には、楽しい思い出があったわけではありません。ただ暗い時代を寄り添って生きてきたのです。

 しづの夫のこすけは、無口な男でした。
 貧しい農村の生まれで、学校にも通えず字の読み書きもできませんでした。
 子供のころに奉公に出され、もくもくと働いてきました。

 2人は、1年前に見合いをして、互いに同じような身の上で、ひかれるものを感じて結婚しました。

 こすけはなまりが抜けず、しづを「すづ」と呼んでいました。2人で字を習いはしましたが、こすけは覚えが悪く、しづを「しう」と書いてしまいます。

 しづがこすけと暮らし、ようやくその優しさを感じ始めた冬の訪れのころです。こすけは「きっと帰ってくる」と言って、戦場に向かいました。

 しづは、こすけのことを案じると、朝早く目覚めてしまいます。しづは、井戸の水で身を打つことにしました。

 「もう一杯、もう一杯、私も苦しまなければ、夫婦の絆(きずな)が切れてしまう」

 心の声に従って、何度も冷たい水の入った桶(おけ)を手にしました。しづの体を気遣う近所の人に止められたこともありました。それでもしづは、夜明け前の井戸に向かいました。

 雪が降る2月のある日、こすけの戦死が伝えられました。

 しづは、夫婦で暮らした短かった時をたどっていました。

 いつのまにか目には涙があふれてきました。その時、流れた涙を風がさっと乾かしました。

 「あなた、帰ってきたんですか」

 しづには、こすけがハンカチでぬぐってくれたように感じました。

 「独りじゃない、夫婦の絆は切れていない」

 そう思うと、胸から熱いものがこみ上げ、思わずうずくまり泣きくずれました。

 温かさに包まれ、いくつの涙を流したでしょうか。目から手を離し地面を見ると、しづの落とした涙の跡が「しづ」の文字になっていました。

 「あなた、ようやく、私の名をきちんと…」