夫婦愛を育む 161
虹は半分しか見えていない

ナビゲーター:橘 幸世

 車を走らせていると、ラジオからNHKの『子ども科学電話相談』が流れてきました。
 「虹は本当は丸いけど、半分しか見えない。残りの半分はどこにあるんですか?」という小学1年生の男の子の質問に答えているところでした。

 理系の知識に乏しい私は、「へー、そうなんだ~!」と驚きます(後で主人に話すと、常識だよ、とあきれられましたが)。
 下の部分は地球に隠れていて、私たちが平地に立っている時は上半分しか見えないけれども、飛行機からとか高いビルの上からなら下の部分も見えますよ、と解説者が答えていました。

 新しい知識に、何とも言えない新鮮な感動を覚えました。
 もう一つ、虹がよく見えるのは太陽の位置が低い時、すなわち朝と夕と話していました(考えたことはありませんでしたが、言われてみれば…ですね)。

 大半の人が、虹を見るとうれしくなったり祝福を感じたりすると思います。
 朝ならば、「あ、今日は何かいいことありそう」と一日の始まりに励ましてくれているように受け止めるでしょうし、夕方に見れば、「一日お疲れさま。頑張ったね」と慰労してくれているように感じるかもしれません。
 朝と夕に見せてくださるとは(科学的には光の角度の問題ですが)、神様の粋な計らいではありませんか。

 旧約聖書では、虹は人間に対する神からの「契約のしるし」です。
 ノアの箱舟で知られる大洪水の後、神がノアとその子孫、全ての生き物に対して立てた永遠の契約として、地を滅ぼす洪水を二度と起こさないという約束の証しとして、虹がかけられたとあります(創世記 第9章)。

 この約束の背後にあるのは、神様の愛。希望・平和・祝福の象徴ともされる虹は、砂漠以外のほとんど全ての陸地とほとんど全ての海で見られるそうです。神様の愛が全世界に及んでいるんですね。

 中学の国語教科書に載った吉野弘さんの『虹の足』という詩では、こんな光景が描かれています。

 山路を登るバスの中で現れた虹に感動し、目を投じると虹の先が眼下の村に届いています。でもそこに住む人は虹に気付いていません。その位置では見えないのです。太陽を背にした位置にいる人にしか虹は見えません。

 作者はこの現象を、“他人には見えて本人には見えない幸福の中で、格別驚きもせずに生きている”様子に例えています。
 太陽を背に、すなわち神様と同じ目線に立たなければ、恩恵は見えないのかもしれません。

 その上、見えたとしても半分しか見えていない…!
 どんなに神様の愛に感動していても、半分しか感じ取れていないのだ、分かっていないのだ、と思わされました。

 つらい中にあっても、大きな大きな愛で覆われている、まあるい虹の中にすっぽり入っていることを想像できたならいいかもしれません。


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